■あこがれMy Boy
 我は駄目人間、故に怠惰上等、逃避万歳、などという超級免罪符を掲げ日々を呆けて暮らしてみても、金銭が無ければ行き着く先はまあ平たく言って野垂れ死にでありまして、ただしそういう実感の決定的には無いうち、つまり金のあるうちは、件の免罪符がなんとも力強く、頼りがいのある小粋な輩に思えるものだから半ば誇らしげに掲げてみたりなんかして、そうしてるうちにハタと気付く。四六時中無職で、ありゃりゃりゃで初職安、借金ちょっと多い人、どうなるんですかー、なんて愉しいうたを口ずさんでいる最中あたりに、ふと、あれ、俺も例外じゃないっていうか、そのうち本当に野垂れ死ぬんじゃないの、なんて気付いてみたりして、戦慄。

 そうなるとなんだかんだで第二楽章開始、俺ってばすげえアルパでありマジでオメガである、との触れ込みで幅を利かせている、唯一神たる社会様から遣わされた御使いが吹く労働せよラッパが高らかに鳴り響きます。ここで、ラッパを無視することも一応出来るのですが、それが出来るほどのつわものはなかなかいないわけでして、結果、社会、労働、上昇志向の三位一体が織り成す世界へようこそ! Hello World! っていう具合で亜空のハッピー界に取り込まれるわけなのです。しかし、そこには大きな罠、落とし穴が潜んでおります。つまり初手から社会様の信徒として精力的に活動している方々とは大きな信仰の差があり、また、社会様からの寵愛の度合いも自ずと違ってくる、という障壁が往々にして待っているのでした。まあ、そもそも、社会様を信じたくなかったから進んで信徒にならず、むしろ意味も無く信徒を軽蔑すらしていた節もあったのに急に自分が信徒になったところで……というのは当然というか、何の不思議もないのですが、納得出来ぬので自らの境遇を嘆き哀しみぎゃあぎゃあ騒ぐ。なんてみっともない姿を晒すそんな青春の1ページ、地球の歴史からすると大した事ありませんが、ちょっとよく見かけますよね。ラッパを鳴らしてまわることも、ラッパを完全に無視することも出来なかった、そんな人々。まあ自分とか割とその類ですがっつうかなんでしょうこの文章。書いてるうちに本音が出てきたので気持ち悪い失敗。次はがんばろう。次とか意味わからないですけど。

[2003.04.30]

■P.S. You Rock My World
 イエー、ズバっと更新、なんて気持ち悪いテンションでキーボードをタイプしている次第。ところで、唐突ながら、「将来を 考えてみると すげー不安」という五・七・五っぽいフレーズについて説明したいのでさせて欲しい。これは、自分が御年18、大学に入学して半年ほど、まだまだフレッシュさを失っていないんだか、割ともう失ってたんだかわからない頃、大学のサークルで使っていたノートに書き殴ったメモリアルHAIKUなのだが、よく考えてみると今も不安なのは変わりない、むしろ加速度的に不安が具現化されてるので、進歩してねえなあ、という感じだ、って、うん? と、待って。ごめんなさい。ちょっと待って欲しい。この話、前に書いた気がする。いや、きっと書いた。

 あ、いや、駄目だ記憶が曖昧。書いた記憶はあるような感じだけれど、果たしてどうだったか。記憶力が減退しているかもしれないこの状況は鯖、じゃなくて、年を取った、ということなのだろうか。ちなみに鯖と年には何の関連性もないわけだけど、ものごとを忘れてったりするのは厭だなあと思う。僕には昔、一日だって思い出さない日があってはならない、と思った出来事があったけど、それにしたって今はもう毎日思い出すわけではないし、それ以外にも忘れた事など幾らでもあるわけで、なんというか、記憶力の強化に務めたいものだ。

 等と思っていろいろ思い出していたら、割と墓場まで持っていきたい程の物凄く恥ずかしい事を二、三思い出した。それらは、昔、若かりし頃、心がなんかちょっとだけお茶目な陰鬱ぶりを見せた時に、サークルのノートにこれまた書き殴った、読んだら確率9割以上で気分が悪くなるような文章を読まれて、ってそりゃ読まれるのは当たり前で案の定気持ち悪いとか言われた事、以上に恥ずかしい出来事っぽいのできっと誰にも言わない。まあそのノートの件にしたって充分過ぎるほど恥ずかしい出来事というか、なんでこんなところに書いてるの?って感じではあるけど、でも、そういやサークルのノートになんか書いてた、とかいって、今やってるこれ、つまりサイトになんか書くのと一緒じゃないの、って感じでマジで進歩ないなあ。恥ずかしい。ごめんなさい。けれど止めないのね。難儀難儀。というわけでごめんなさいとか言いながら何かをやってる奴はやっぱ性質が悪いと思う。自分とか。まあ他にもいっぱいいるけど。

[2003.04.26]

■なんでか藤本美貴で検索してくる人が多い
 サンドイッチって奴はサンドイッチ伯爵が考案したものであるからサンドイッチって名前なんですー、っていうのはジャポニカ学習帳だとかそんな感じの文献に書いてあったから、それはまあ憶えているのですよね自分は。確か、伯爵は、きっとかつては王侯貴族の娯楽だったであろうトランプ遊戯、これに熱中しているとどうにも小腹が空くので困る、でも遊戯は続けたい、っつうんで、何ぞ遊戯の片手間にぱくつける食物はないものかねえ、という横着な発想からサンドイッチを考案したのであるけどでも伯爵マジ頭良くねえ? というお話だったように思います。だからつまり、元々はサンドイッチはある意味奢侈品、って事になるんでしょう。けど、ただ、こと憤怒界の様相を呈している現代社会においては、「サンドイッチを片手間に食べる」っていうのは、つまり食べながら仕事が出来る食物を追求したらサンドイッチくらいしか無かった…という獄門的制約がかかるため仕方無しにサンドイッチ、という場合が多いんじゃないの? やあ、サンドイッチって、本当は涙で出来ているのかもね…という話もまあ、聞いたことがあります。哀しいお話ですね。

 確かに、忙しい時には食欲も減退し、時間もそんなに取れないし、サンドイッチ指数は必然的に高まります。まあ自分の場合、昔ちょっとだけ忙しかった時は食欲はむしろ増大したのだけれど食べに行くという行為自体は面倒くさかった、という理由からサンドイッチ指数が上がったわけですが、っていうかなんでそんな話を書いているかというと、これから少し忙しくなるみたいだからです。わー、やだなあ。といっても、世で言う“忙しくてつらい”という概念は、家に帰れない、上司を見ると幼少時のマイケル・ジャクソンよろしく吐き気がする、思いつきで仕変するクライアントの顔を爆砕する事を想像し夢見がちな時を過ごす、などの諸条件をいくらか満たさなければおおっぴらには忙しくてつらいZE、なんて言えないわけで、だからまあ自分の場合別にそんなに忙しくなるわけじゃなくて今までがきっと楽すぎただけなんですけど、この身に染みついた怠惰の瘴気の尋常ならざる量を考えると、ちょっとひとっ走り逃げたくなるのでありました。今度は、もしアレになっても、四六時中は気持ち悪いとか死ねとか言わないようにしたいので二三時中くらいにします。あ、いや、嘘、がんばります。ちょうやる気。イッツイージー。

[2003.04.25]

■PPPH
 ここには何度もソニンの事を書いているけれど、僕は別にソニン大好きっ子、というわけでも無かったりする。正確に言えば僕にとってのソニンは、我を忘れるほど好きではないがなんとなく目が離せない芸能人、というやつなのだろう。しかし先日、ぼんやりとポップジャムを観ていたら、“ソニンの鞄の中身チェック”なんて企画をやっていて、思わず見入ってしまった。まあ大抵、こういうものは得てして視聴者に見られようがどうでもいい物が鞄に入っているわけだけど、果たしてソニンの場合は「『かけがえのない人』と思われる人の共通点」とかいう書物と、「マインドコントロール法」みたいな書物だったので、僕は思わず「わー」と力無く叫んだ。力無く叫んだ、なんて言葉はおかしいかもしれないが、それ以外の表現が見当たらないのである。これはまことに言葉の限界から来るもどかしさ、隔靴掻痒フィーリングをびんびこびんと感じてしまう事態なのだが、そこから導き出されるのは、やはり、おやおや?ソニン?という類の疑念なのである。

 だけれど、そのようなおかしさはソニン的に言えばプロモーションの一環なのだろう、という解釈も同時に存在するわけで、というか確実に売り出す際の戦略なのでソニン自体が特別変なわけではない、とは強く思うのだけれど、僕はソニン、というか芸能人全般に対しての当てずっぽうで見当違いな深読み、夢想をするのが好きで、妙な想像をしてしまう。つまり、「マインドコントロール法」はきっと、ソニンがアジテーターとしての松浦亜弥に対抗せんがため購入した書物なのであり、また、最近ソニンが肉体改造をしたのは、清原番長に影響された面もあろうが、実はあややに勝つため“アイドル増強剤”のようなものを過剰摂取した結果なのでは? 等と思ってしまうのだ。結果、そのうちソニンが、「オウ、ワイや、ソニンやで!」、なんて言い出してフライデーを賑わす、或いは、増強剤の飲みすぎでジャック・ハンマーみたいになる、んじゃねえのかなあなんつう類のどうでもいい事をぼんやりと考える事が僕の日常の大きな部分を占めてしまうのだ…。そして、そんなつまらない妄想を展開させてしまうので、僕の心は常に張り裂けそうに乱れ、ソニンに支配、蹂躙されるのである…!

 と、あー、常に張り裂けそうに乱れて蹂躙、なんて表現はさすがにウソ、大袈裟、紛らわしい、といったJARO的なアレに抵触しそうな表現なため訂正するけど、要はまあ、僕は単にソニンがどういうつもりなのかが時折気になるのだ。ホントはその程度。でもって、あ、そういえば、そういう事を考えていると気がついたら一日終わってたりするので怖いです。レベル的に言えばまあ、もったいないおばけくらい怖い。

[2003.04.21]

■今週のSPA!の特集は「一生給料が上がらなかったら」だそうですこわい
 ザッシュ、ザッシュ、と、水面から飛び出してくる鮫を刀剣で叩き斬る。ええと、これは、そうすれば高得点を得ることが出来るゾ、といった感のどこからともなく聴こえるナレーションに従った結果の自分の行動なんだけれど、鮫って本当に凶悪なツラしてるし、噛まれると身体千切られるし、マジで怖いです。とかいきなり色々な事を省略した書き出しでごめんなさい。その、鮫を叩っ斬って高得点(ナレーション付き)っていうのは自分の夢、っていうのは眠っている時に見るアレの話でした。で、鮫。鮫の話をしたい。させてください。

 というわけで、鮫。自分は、要は明らかにジョーズの影響だと思うんだけれどこいつが怖い。こいつの所為で海にも入りたくない。昔、水泳を習っていた自分は泳げはするのだが、海に限らず水あるところに鮫あり、なんていう妄想は今でもしてしまう。のだけれど、鮫の画像やら映像、記述、まあ映画は怖いので観ないけれど、そういうのを見聞きする事はむしろ好きだったりするからややこしい。こういうサイトとか見て、そんで、おお怖え、なんつって、神様どうか鮫と遭遇しませんように、なんて思いながら鮫に思いを馳せているのだ。でまあ、自分がなんで鮫画像や鮫に関する記述に興味があるかというと、そら怖いからである。例えば特に狂乱状態にある鮫に水中で遭遇した場合、はっきり言って自分にはどうする事も出来ないのでは、と思うのだけれど、どうする事も出来ない癖に、怖いものだから(だから?)そういうのを見聞きするの自体は好きなのだ。なので、実は鮫に限らず、巨大生物との遭遇とかを自分はよく夢想する。というか、実際に夢に見る。例えば、腕が何本もある巨大生物を、はるか彼方、ビルの最上階にある総ガラス張りの部屋に設置された単座式の最新型荷電粒子砲で射撃して倒す、という夢は、今までの自分の夢のベスト3に入る面白さだった。まあそれはともかく、あとだね、ついでに言うと鮫夢も見る。あれはかなり怖い。自分は、水中をうろうろする夢、というのを割かし頻繁に見るんだけど、夢の中の暗い水中にはいつも鮫みたいな風貌の不明生物が登場しやがり、自分の夢世界を脅かすのである。出てくるのが鮫ではない場合もあるけれど、とにかくあの暗い水中に出てくる生き物は気持ち悪いんだよなあ…。

 そんな自分だが、今日、思い切って、鮫映画を借りてきた。とりあえず、回線を通じて自分の家に鮫が送り込まれると困るので今日はインターネット止め。っていうかこれから映画見ます。こわい。
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追記:今回の更新とはまったく関係の無い話なんですが、Mac Fan(週刊アスキーと間違えていましたごめんなさい)にソニンのインタビューが載っていて、それによるとソニンは、自身のオフィシャルサイト、および、ファンサイト、高校教師のサイト、オリコンのサイト、を見ているとのこと。また、以前は、ソニン的に「それはちょっと違うゾ」ってな記述があった場合、名前を変えて掲示板に書き込んでもいたとのことです。ソニンすげー。っていうか、それって…。

[2003.04.15]

■どこにだってある花だけど
追記:一部言葉の使い方がおかしい、とのご指摘を受けました。ので訂正。ご指摘ありがとうございました…。確かに「あまねく遍在」はおかしいですね! ひー、ごめんなさい。

 一体、自分ときたら頭が悪いためでしょうか、世にあまねく遍在する美しさや楽しさといったものにとんと疎く、麗しき事物は、自分にとって窓をつたうただ一筋の雨滴の如く過ぎ去ってゆくばかりなのですが、そんな自分にも、時には、思いもかけぬ素敵な出会い、というものが無いでは無いのです。そこで今日は、先日わたくしに訪れた、そんな得がたく胸踊る出会いを紹介させていただきたく筆を取っている、もとい、キーボードをタイプしている次第でございまして、以下の拙文、ご一読下されば幸いです。

 過日、100円ショップへ赴きました。みなさまご存知の通り、かの地では、あんなものやそんなもの、果てはあんなものまでが、100円というたいそう親しみやすい値段で売られています。果たして、そこでわたくし、運命的な、というといかにも陳腐、軽薄、底の浅い言葉に聞こえるやもしれませんが、まさに運命、としか言い様の無い出会いを果たしたのでございます。わたくし、学の浅いためか、ついその時まで100円ショップで書籍を購入出来るなど存じておらず、棚に陳列される書籍を見てたいそう驚いたのですけれど、100円ショップというものは、わたくしのなんとも浅はかな、無知から来る驚きを更に凌駕するような充実の品揃えなのですね。そこには、名作とのほまれ高い『まいっちんぐマチコ先生』や、あの永井豪先生がかつて上梓された著作『獣神ライガー』など、心躍る書籍群の数々がわたくしを待ち焦がれていたかのように、100円という値段で整然と並べられていたのです。

 とりわけ、わたくしの心を奪ったのは、とある2冊の本でございました。それは、“究極のファッションまんが”と銘打たれた漫画『こっとん鉄丸』、および、『就職超氷河期の殺人』と題されたミステリ小説でした。『こっとん鉄丸』の方は、原宿を舞台とした、ファッションセンス溢れる小学生が主人公、という設定の、ミスター味っ子の系譜を継ぐかのようなファッション・バトルが特徴のファッション業界・サクセスまんがだったのですが、80年代感覚満載なスリリング展開がわたくしの琴線におおいに触れました。劇中、主人公、鉄丸少年のファッション・アドバイスがありまして、モテる服装とはつまりTシャツのすそをジーンズにINであり、ジーンズにロールアップをほどこすのであり、靴下の色にも凝らなくてはならないのであり、さらにバスケットシューズを履くと吉なのであり、そしてTシャツの柄は大きなユニオンジャックがBETTER、とのことで、時代の変遷を否応無く感じさせる記述にわたくし慟哭。過ぎ去りし流行を見るのは切ないものです…。そういや、わたくしが中・高生の頃、ネルシャツを腰に巻くとか、小さめサイズの変なTシャツを着る、とか流行ったけれど、今にして思えばなんだってあんな服を着ていたのでしょうね…正直、実はその、わたくしは2つとも着ていましたが…って、いや嘘。わたくしは昔、ジッパーがたくさんついているTシャツなんて買いませんでした。あれは嘘。幻です。悪の組織がわたくしに見せてる夢に違いない。ところで『就職超氷河期の殺人』は読むのがだるそうなので弟に先に読ませていますが、謎、伏線が大量に散りばめられているらしく、どのように収束するか興味は尽きません。ちなみに、セクハラ面接のシーンから小説が始まってました。

[2003.04.12]

■まぁいい風に言えばほのぼの系
 ぐわわわわん、と自分はまたやらかしてしまった。というのも過日、なんとはなしに渋谷でお洋服を眺めていたところ、真の御洒落様ならその行為自体を唾棄し軽蔑し、まずしないであろう“マルイで服を揃える”という行為をまたぞろやらかしてしまったのだ。まあ、真の御洒落様が一体どこにいて、さらにはどこの都々逸で服を揃えているのか、なんてのは当方とんと与り知らぬ事だから別段構いやしないのだけど、きっとマルイは無えんだろうなあ、とは思う。いや、でも、こっちにもそれに対して言いたい事はあるんですけれどもね。イコール、我に反論の用意あり。っていうのは、御洒落様御用達の有名ショップやら知る人ぞ知る通好みショップ、なんてのは、自分にとって大して縁の無い場所、面倒な場所であるし、その点マルイあたりならば適当に選んでも風貌的には無難にまとまるんじゃん?つうのでマルイくらいが丁度いいんだよねー、っていうね。あと、有名ショップがどうこう、とか息巻く年齢じゃないですしね。いやはや。で、それはまあともかく、しかしマルイで服を購入した事のある方ならわかって下さるかもしれないけど、やはりマルイは煽情、違った、戦場の様相を呈していたわけなのだ。ああ、もう、げに恐ろしい。だるいし、つらいし、堪忍。

 つまりマルイで買い物をする時っていうのは大抵、あれだ、マルイソルジャー、マルイ前線豚であるところのマルイショップ店員、こいつらが「今シーズンの流行はどうちゃらこうちゃらでマジお薦めかつバイオアダイ」なんていう感じのよくわからん自論を展開し、挙句、こちらを懐柔する目的としか思えないハッピージョークをくちびるから散弾銃的な勢いで飛ばし、といった営業活動を仕掛けてきやがる。だから、それをかいくぐらなければならないんである。これは、往々にしてどうにも神経を磨耗させるわけで、そんでまあ、この間自分が服を買ったなんちゃらいう店の店員も案の定たいそう精力的な営業攻撃を仕掛けてきたので、その時の自分はげんなりしていた。ってね、いやね、わかってますよ。貴女がマルイソルジャーであり、だから売上が査定とかいう悪魔のシステムに直結しかねない事は想像に難くないっていうか、そんで、今のこの状況は貴女にとって、蜘蛛の巣張ってたらちょうど俺っていう餌がやってきてチャンス!みたいなもんだってのは。でもね、自分ときたら寡黙な男、っていうか、ちょっと人と話すのは苦手っていうかがんがん話し掛けられるとうざいっていうか…そういう自分の性状を見抜きですね、それに即した営業攻撃を仕掛けるっていうのもあって良いんじゃない? ないの? とか思いながらげんなりしていたのだ。で、その時、気が逸れ、店内のBGMに神経を集中させたのがまたまずかったのである。

 その時のBGMはケミカルブラザーズ、直訳すると化学兄弟、意訳するとおクスリ兄弟、なんていう感じの酷い名前のグループだった。でまあ、ところで自分は、流れる音楽に合わせて半ば無意識にリズムを取ってしまうことがある、という恥ずかしい癖を持っているんだけれど、その時、それが暴発したのがまずかった。あろうことかそれを店員に目ざとく発見され、ケミカルな話、っていってもおクスリの話じゃなくて音楽の話だけど、そんな話を振られて、わたしとあなたは共通の趣味がある、だからバイオアダイ、なんていう雰囲気を感じざるを得ない攻撃を仕掛けてきたのだ。そんで、それをむげに無視するのもなんだし、無視、シカトはダメだってむかし長谷川先生(小学校の先生)も言ってたし、ちょっとは相手しなきゃな…とか思っていたら、気がつけば泥沼、自分の堅牢な財布も最早落城寸前、っていう状況になってしまい、結局お洋服を購入する憂き目に…! ケミカルブラザーズなんて普段聴かないのに…! というわけで服を買ってしまいました。その、ジャケットなんかを少々…。2003年春、渋谷の地において、こちらは策略に嵌ったつもりはないのだけれど結果的に見ればまあ策略に嵌ってる、というマルイマジック、資本主義の魔法が炸裂してしまったのです。マルイこわい。今頃あのマルイソルジャーはご満悦なんだろうなあと思うと腑に落ちません。けど、春だし、まあいいか。

[2003.04.07]

■乙女の心理学
 あんまり、自分が今やってる仕事の内容については触れたくは無いのだけれど、今日少しだけ、見逃せないというか、見過ごせないというか、そういう事があったので書いておこうと思う。自分は時折、ホスト(主に夜に活躍するおにいさんたちのことです)のデータを仕事で扱うことがあるのだけど、今日、そのデータを見ていて気付いたのだが、自己紹介欄に「好きな女の子のタイプ:ソニン」と書いてあるホストのお兄さんがいたのだ。これは、まさか…と訝しみ、ホストとソニン、この符合をどう取る…?とひとしきり思案したのだが、どうにもこうにも『高校教師』しか思い出せないのであった。

 ソニンが、『高校教師』においてホストに入れ込み、貢ぎ、というちょっとアレな役を務めていたのは周知の事実であり、また、はまり役であった事に異論のある方はそうはいないと思うけど、僕はこれは、なんというか、ホスト業界にソニン旋風が吹き荒れる前兆なのかもしれない、と思ったのだ。つまり、「貢ぐ女=ソニン」という関係でちょっと言葉を変換してみて欲しい。そうするとこれは、よもやプロフィールに「好きな女の子のタイプ:貢ぐ人」と、大っぴらには書けないであろうホストのおにいさん達にとってたいへんな朗報ではあるまいか…? そう、つまり彼らは、ソニンという単語を使う事により、気付かれる事無く自分の欲求を大いに吐露し、そうとは知らないソニン似、或いは、ソニンのような性格の女性を騙す事が可能になったのだ! これはもう、なんとも恐ろしく、狡猾な手口なんである。そりゃあ、『高校教師』におけるソニンのような事にならずホストのおにいさん達と上手に付き合ってゆける女性達も多いのだろうけど、それが出来ない女性にとっては、ホスト界で密かに進行するこのソニンウェーブは危険極まりないのではないだろうか……ああ、世にからめ手は無数にあり、僕ではそれを解除する事は、きっと、まず、出来ない。僕にはここで、警鐘を鳴らすしか…人間って、哀しいね。というかソニンが自ら裸エプロンを語るというニュースには割と涙な感じでした。確かに誇りだけじゃ喰ってけません。って、あ、ということは、誇りすらないと何も食べられないのかなあ、どうしよう…。

[2003.04.04]

■わかってないじゃない
 およそ5分、といった咲き具合の桜を横目に、小走りに駐輪場への道を急ぎながら、桜の事を考えた。というのも、去年の今頃は諸事情により桜を眺める余裕も無く、というより、桜が咲いていたかどうかさえ思い出せない、もとより景色とかどうでもいい、日々是気持ち悪くて仕方が無い、という有様だったから、今年は桜が咲いてるのを確認出来て良かったな、と思ったからだ。自分はどうやら感受性というものがおよそ低いため、花をとりたてて綺麗だと思う事は少ないけれど、咲いてたかどうか憶えていない、なんてのよりは、今年は幾分ましなのかもしれない。

 ここ2年ほどの記憶は、心の中の、記憶/2001年/忘れたい/、或いは、記憶/2002年/忘れたい/、という階層におおよそ格納されている。僕の記憶は割と確かで起こった事を忘れるということはあまり無いが、けれど、そこにあるのは、容量だけはやたらある風なのに中身が読み取れない、文字化けというか記憶化けしているデータばかりだったりする。それは、別段、思い出せなくても困らない、思い出さない方がいい類の情報であるため、あの時感じた惨めな気分や憤り、混乱なんかはふわふわしていて今はもう判然としない、ただそれだけなのかもしれない。また、それらの階層に含まれるデータには、どうせ大した事じゃなかったのだし、自分だけが辛いのでは無いでしょう、甘えないで欲しい、という拡張子が付けられている様にも思えて、実にやるせない。なんだか近頃、人々に無視される夢をよく見る。そして数年以上連絡を取っていない人間が増え続けている。ちなみに国民年金を払っていない。あまつさえ色々な意味で足下が覚束ない。ついでに言うと髪を染めた。というわけで最後は近況報告風になりましたが、いまだにぼんやりと生きています。ぼんやりしているのは良くない事なのですが、春の所為かな、止まりません。

[2003.04.01]