■今から嘘八百を書きます
・赤松以後の世界
 先日、うすらぼんやりと仕事をしているとメッセンジャーとかいうソフトがメッセージを吐き出しやがったので、なんだろう、と思って見てみると、Tという友人からのメッセージだった。曰く、

 T の発言:
 赤松先生がやりやがった
 T の発言:
 あの野郎
 関 の発言:
 どうしたんだい?
 関 の発言:
 赤松先生がまた何か…やらかしたのかな
 T の発言:
 キバヤシ「赤松先生の新連載が始まったんだよ!」
 関 の発言:
 なんだってーーーーーー!!!

 という事なのだった。僕はエクスクラメーションにして丁度3つ分、大いに驚いて『少年マガジン』の公式サイトを来訪したのだけど、果たして、そこには例の、赤松御大が描いたと思われる少女が無数に乱舞していてそれがまた白日夢にしてはいやにリアルなんである。僕はそれを見て、そこが夢の中でない事を悟った。御大の新連載は、タイトル、『魔法先生 ネギま!』、そしてその実態はニュータイプ学園ラブコメ、なのだそうだ。挙句、踊る叩き文句に「30人のヒロインがキミの恋人(ハート)」と来られては風雲急を告げるというものだ。っていうか、うっかり仕事中なのにマガジンのサイトを開いてしまい、そこに展開される赤松絵が、社員に見られると割と困るっていうより色んな意味でニアリーイコールデスなんじゃねえの?ってな様相を展開させたので僕の心臓はまるで早鐘の様だった。そういうわけで急遽、Tと僕とで、この、シーンにドロップされた爆弾の解釈や如何、そしてそもそも赤松御大はシーンに何を齎したのか、という事を話し合う事になったのだが、議論は大いに白熱し、収拾がつかなくなり、というより仕事に支障が生じたので社員の皆様本当申し訳ないと言いますかでも仕事は期限までにあがる予定ですのでどうぞご勘弁、という昼下がりのワン・シーンが展開されたのだった。だからメッセは仕事中にやると駄目なのだ。他の、社員もかなりの割合でメッセに興じていたりするのだけれど、僕が興じるのはいかにも駄目だと思う。まあそれはともかく。

 赤松御大が成した功績(功績?)は乱暴に言うならば、「ヤンキー的なものへの憧憬と、小学生時代は普通に見ていたであろうアニメなどオタ的なものを容認する素養が同時にある時期」を過ごす、潜在的にはオタ要素が濃いがまだオタとして未成熟な男子、或いは、オタとヤンキーの境界的存在などの流動層をオタ空間に取り込んだ事にあると思う(付記すると、この文章で言う「ヤンキー」は僕が真実中学生だった頃に棲息していた様な所謂ヤンキーそのものというより、それっぽいメンタリティを標榜する男子、という程度の意味を含む)。中学1年生くらいの時期、男子は、往々にして決定的なフェーズを迎える。さながらロウとカオスを決定付けるイベントを経たのち属性が決定されるかのように、大別してヤンキーサイドとオタサイドに分かれる事になるのでは?という事を僕は考えた。そして、それぞれの属性決定イベントを通過した後の男子は、池袋における人口分布を例に挙げるなら、大袈裟に言えばウェストゲートパークの住人となるか、イーストアニメイトの住人となるか程の違いを見せる事があるのは歴史が証明している。

 次に考えたのは、御大は、新たな道を開通させたのではないだろうかという事だ。丁度、かつて『特攻の拓』や『カメレオン』、『湘南純愛組!』等がヤンキーサイドへの道を拡充した様に、御大はオタサイドへ疾走可能な高速道路を開通させてしまったのではないだろうか。主に中学生で構成されるマガジン読者にとって、かつてオタサイドへの道は舗装されていない悪路だった。「マガジンを読んでオタになる」という現象が起こりにくかったのだ。蛇の道は蛇、オタの道はオタ……赤松以前、オタサイドへの道は、マガジンとは別の、マガジンよりは目立たない場所から端を発していたように思う。だから、オタサイドへ向け、男子文化における一大都市、マガジンを始点とする高速道路を通してしまった赤松御大が、道路族議員の如く地元民(オタ)に歓迎され信奉されたのは示唆的だとも言えるだろう。そして「赤松以後」の歴史を紐解けば、高速開通による赤松的オタ文化の隆盛がある事は、論を待つまでもないだろうけれど、赤松高速道路がかの如き盛況を見せたのは、中学生辺りの年齢に顕著な、自らを取り巻く箱庭的世界を変容させる願望に赤松作品が訴えかけた事が挙げられるのではないだろうか。

 世界を変容させる為、「マンガ的世界」と世界とを自己内で出来るだけ混在させる…この行為がある種のカタルシスを齎す事は身に憶えのある諸氏も多い事だろう。かつて、僕の周囲のいたヤンキーや、ヤンキー的なものに憧憬を隠さない連中は、例えばコンクリート塊で頭を殴られても平然と振り返り逆に相手を血の海に沈める武丸(『特攻の拓』登場人物。平たく言って化け物)の姿に自己を投影する事でカタルシスを得ており、それを明言もしていた。そして彼らは、時には自分がヤンキーマンガの登場人物である「かのように」振る舞ったのだ。それは彼らにとって、まさしく世界を変容させる為の行為だったと思う。ここで強調しておきたいのは、ヤンキーテイストは、別段ヤンキーでもない普通の連中やオタまでをも潜在的に影響下においていただろう、という事だ。非常に多くの男子が、結果的には、ヤンキーテイストを格好良いものとして捉えている部分を持っていた。事実、僕も少なからず憧憬を抱いていた。無論、ヤンキーは、取り巻く箱庭的世界を変容させる程「強い」或いは「強く見えた」からだ。また、女子にモテる、というのもあっただろう。クラスで一番可愛いあの娘はヤンキーと付き合っている、というのがよくある話だ。ヤンキーへの憧憬……だが、そこでオタ要素を比較的多く持つ僕の様な人間はある問題にぶつかる事になる。それは、「僕は、ヤンキーには、なりたくてもなれない」という大きな問題である。

 ヤンキー化する事により世界を変容させる。その道が閉ざされたマガジン読者男子は、或いは悪路を往きオタサイドへとたどり着く者もあっただろうが、現在に比べるとその絶対数は少なかった。だが、赤松以後、状況は変化する事となる。赤松御大は『ラブひな』というハイウェイ・トゥ・オタを開通させる事により、もう一つの、ヤンキー化とは別のルートで世界を変容させる手段を提示したのだ。そしてそれは、マガジンという巨大メディアを通じて行われた事により、中学生業界にセカンドインパクトを齎す事となった。純ヤンキー化出来ない流動層、とりわけ、潜在的にオタ要素を多く含有する層を、自らが設置した高速道路に乗せたのである。御大は、オタ要素とヤンキーへの憧憬を同時に抱き、どちらへも転び得る揺らぎやすい時期を過ごす中学生を突いたのだ。すなわち、潜在的オタをマジオタへと多数顕在化させる事に御大は成功したのである。その結果、赤松以後の世界ではオタの絶対数が増えているのだ、と僕は考える次第だ。

 御大の新連載『魔法先生 ネギま!』は果たして何を齎すのだろうか。そう考えたけれど、恐らく、サードインパクトと呼べるものは起こらないだろう。ただ、オタの再生産が発生するだけだ、と思う。以上、みたいな事をうすらぼんやりと考えて仕事中を過ごした、という文章でした。おしまい。すごく適当な事書いた。ごめんなさい。

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この文章を書くにあたり協力してくれた人:竹田

[2003.02.27]

■霧がかかったみたい
 得体の知れないものに蹂躙されるのは僕の最も恐れるところであり、最も望むところであります。というのは冒頭からの嘘、極言すれば僕が書く文章においては季語のようなものですが、僕がこのように嘘から導入される文章を書き始める時は大抵、何も考えずに書き始める時であるのです。例えば、僕は今日ここで、昨日放映されたマイケル・ジャクソンの行状を追ったかのテレビ番組について、ある事無い事や、無い事無い事など、大いに放談する事も出来ましょう。あるいはここで世の不条理を嘆くフリをし、何を言ったところで構わぬ様なそんな、誰でも良い、何でも良いので誰か何かを選んで、涙ながらに断罪の対象とする事も出来ましょう。あまつさえ、虚栄心を満たす為の、恐らくは誰にも看破される事の無いほんとうの嘘を吐く事も出来ましょうが、そのいずれも、書きたくは無いものでして天を仰いで嘆息、真実難儀なものです。なんて、意味の薄い事を書き連ねているうちに、意味の薄い事を冗長に書き連ねる事に関しては幾許かの自信が自分にはあるものですから調子に乗っている間に、書きたい事が決まりました。誠にめでたいことだと思います。冒頭の嘘に正解を与えるなら、正しくは、最も恐れる事であり、あとはまあ実際はちょっと望んでもいいくらいかなっていうかそれっぽい事書きたかったの、えへへ、でした。補足する辺りが僕の親切心を装った何かから来るものだという事を、これを読むかもしれない皆様にはあまねく理解して頂きたいものです。そして出来る事ならば皆様、このような事を書いている僕を嫣然と見下し蔑む自分の様を想像しつつ、この文章を読んで頂けるなら幸いです。

 ってな感じで文字数を弄しながら何も言わない伝えない文章を書くのに関してはやっぱ相変らず楽しいです。上のような感じの文にあとちょっとだけ、碌でもないさもわかった風な諧謔めいたことばを付け足せばちょっと前まで僕がよく書いていた様な日記っぽいのが出来上がるので、っていうか、間違えた、そんな事を書くつもりではなしに、本当はこの間買ったCDについて書きたかったのですけど。ごめんなさい。文字数埋まらないと不安なの(吐露)。


椎名林檎『加爾基 精液 栗ノ花』…アルバムをループさせ、冒頭の曲と最後の曲が繋がる様に聴くととてもよろしい感じ。このアルバム、今までの椎名林檎のアルバムのどれより歌詞が聴き取り難いんだけれど、そこがまたちょっといいな、って思う。サウンド面の心地良さに目をくれているうち、ふと気が付くとわあ大変というような事を歌っていたりするのが彼女の魅力の一側面だと僕は勝手に思っているけれど、その点が強調されている感じで良いなあ。僕はこういう“わかった気にさせつつ決定的にわからない”事を意図的にだか無意識だか知らないけれど狙った音楽は好きです。まあ、僕は男だから、女性のアルバムは大抵そういう感じだったりするのだけれど。


GOLDSTONED『i was a teenage pop addict』(↑本当のジャケは色違い。紺色じゃない。っていうか画像無かった)…“ドイツ版スタイル・カウンシル”との宣伝文句に惹かれたわけでもないのだけれど、買ってみた。いやまあ、アルバムにこんなタイトル付けておいて駄作だったら承知しないところだったけど、駄作どころかなかなかの傑作ぶりであり、良かった。こういう王道ポップはどこまでもあり得ない光景を特に際立って垣間見させてくれるので大好きです。スタカンっぽいかどうかは、まあぽいっちゃぽいかな、という感じ。

[2003.02.25]

■テンタラフー
 元々、さらさら買うつもりは無かったんだけれどどうも知ってる人がほぼ皆、判で押したかの様にめがてんめがてんとうわ言の如く言いよるし、かのゲームを評してまるで熱病に冒された風にやばいさらにやばいバリやばいなんて事を口走っているっていうので、例に漏れず、横並び、付和雷同が人生の指針となっている自分としては、先日、仕事帰りに渋谷なんぞに赴き、『真・女神転生V』を購入した次第です。突然ではありますが僕の夢を紹介します。私のすごい方法であるところの俺人生ファイナル・ソリューション計画を僕は胸中密やかに想い抱いているのですが、果たしてその実態は「魔神皇とかそういうのになってすんげーやべー力を得て皆を閉鎖空間に幽閉し隷属させる」なのですが、『真・女神転生V』に自分の悲願を成就させる為のヒントが隠されていると良いなあと考えているので、そのような楽土を構築する為に明鏡止水の面持ちでゲームを頑張ろうと思っています。っていうか創世とか心底したいです。都合のわるい事は消えてなくなれー。以上夢。あとなんていうかレベルあがらないなあこのゲーム。自分のやり方が悪いのかしら?とも思うけれど、まあいいです。それと主人公の髪型が嫌いです。

 なんて言いつつも、でも、メガテンVおもしろいです。サイト名を『お願い☆テトラカーン』にするのもやぶさかではない程おもしろいです。メガテンだいすき。『真・女神転生if...』のアンソロジーコミックを高校生の時に買ったことがあるのは僕が所持する37の秘密のひとつなのですが、まあ言うなればそれくらいメガテンシリーズが好きです。昨日は、ドラマ「高校教師」において「京本政樹が風俗ルームでソニンに英語を教える」などの蛮行が多数ブラウン管の中に見出されたため脳の具合に変調をきたして一時的にゲームを中断してしまいましたが、今日はそれなりに頑張ってゲームをやっています。多分クリアするのは、半年後くらいです。最後に、今日は、「だってメガテン好きの人に悪い人はいないって言ってたし、ねえ? お父さん」というリンク集を作ろうと思っていたのですが、頓挫した事を明記して文章を終わらせたいと思います。というよりメガテンやりたいから終わります。

[2003.02.22]

■http://natto.2ch.net/recruit/kako/980/980154389.html←面白い
 裏切られても放っとかれても嘘吐かれても飲む打つ買うでも仕事しなくても道で寝てても食べちゃダメだ食べちゃダメだ食べちゃダメだ食べちゃダメだ食べちゃダメだ食べちゃダメだ、と、エヴァンゲリオン世代特有の叫びを心の中で展開しながら昼食に臨んだのだけど、朦朧とした意識の中で自分の眼前に提供された食事は、やはりかの悪魔フード、GYU-DONだった。もうあんなジャンクフードは食べないって誓ったはずなのに、またぞろ奴は僕の目の前に現れ、あまつさえ食道に進入し、満腹感と引き換えに含有されるジャンク成分が体を蝕むのであった。ああ、もうこれは陰謀、っつうか、まさに280円のGYU-DON級、安い人間へと至るヘル・エッジ・ロードとも言うべき仕組まれたスクリプトだし、このままだと行き着く先は栄養不良や味覚崩壊、そしてBSD……そんな涙色状況に苛まれるに違いないのだ。そういった瓦解のプレリュードを察知し、自分を陥れるGYU-DON業界の悪辣非道な企みに義憤を燃やしているのがこの僕であるのであるったらあるんである、けれど、けれど、まあ、ごめんまた嘘吐いたー。まず、意識は朦朧としていないし、確かにこの口でGYU-DONを注文したのは他ならぬ自分だった。正直、GYU-DONさんにはお世話になっておりまして、その、主に財布から流出する金銭を抑える目的で…。だって安いんだから仕方無いじゃないか。あとエヴァンゲリオン世代って単語は使うと恥ずかしいランキングで24位くらいに入ってると思う。多分。

 そんな感じの変わり映えのしない食事を摂取し、食後に、公園で、世界や自分に対して怨言を放つといった高尚な作業に従事していると、目の前に飼い犬(プードル)と似たり寄ったりの髪形をした醜悪な熟年女性が現れ、あろうことか飼い犬を放置し、放置された飼い犬がそこらに集っていた鳩に食って掛かり鳩が飛散するという大惨事。僕は目の前にいたものだから飛散鳩の脅威に曝されたいそう驚いたのだけど、プードル女はどこ吹く風を決め込むという獄門の如き状況。季節は2月、今年も、冬を越せなかったダンボールハウス住人がいるだろうってのに、帰りの電車では、どこぞのお父さんが凌辱なんちゃらという奇書をこっそりと、しかし食い入るように読んでいたってのに、プードル女はまるでお構い無しに鳩を飛散させて謝る気配すら無いという暴挙に出たのだった。まあ、よく考えてみれば、ダンボールハウスの話とエロ小説を読む中年の話とプードル女はまるで関係が無いのだけど、っていうか、ダンボールハウスには住みたくないなあ、僕は住みたくないです。あの家を見ていると、何か自分がそこに入って暮らして死ぬビジョンが浮かぶという余計な能力に開眼したのがおよそ4年くらい前の話です。以来、どうにかこうにかやってきたのですけど、なんにせよ野垂れ死には厭です。僕は、野垂れ死にと焼死と溺死と轢死と激突死と失血死と病死と転落死と頭を鈍器の様な物で殴られて死ぬのと心の臓を一突きみたいな死と窒息死と社会に殺されるのとエトセトラエトセトラな死が厭だなあってな感じで兎に角痛いのとか苦しいのとかでは死にたくないのですが、安楽死と自然死以外の死に方が世の中には多すぎるのでげんなりします。あなたがたが僕を殺さなければいいなあ、とか、そんな事を考えてそうな顔しながら東京の一角でGYU-DONを食している男がいたら、それが割と僕だと思います。見つけてもそうっとしておいてください。近寄らないでー。でも都合のいいときにだけ近寄ってー。なんていう、エヴァンゲリオン世代丸出しの文章を書いてしまったのは本当に良くない事です。もう止めます。ハッピー。あ、エヴァンゲリオン世代、って4回も書いてしまった! 愕然!

[2003.02.17]

■更新するって 難しいんだなぁ(松浦亜弥の口調で)
 今更という幹事では歩けど、いや誤変換、感じではあるけど、スローライフだかスローフードだか、なにか(・ω・)?な文言が誌面に踊る事が多くなったな、と思う。というか『ソトコト』あたりに載る事が多い。なんでそんなの読んでるかってまあ、会社に置いてあり、仕事でたまに読んだりするからなのだけれど、ファーストライフ、ファーストフードを余儀なくされている、複雑にこんがらがった社会にドロップキックをし損ねた子羊であるところの僕らにはまあ関係無いっていうか、別次元の話というか、わけがわからない。そういうわけでプチブルの皆さんは自己批判してください。

 といった書き出しで全共闘世代に媚びつつ始まったこの文章はこの後まるで違う方向性へ飛びますよ? と、ますよ? とか言われてもどうもこうもない感じです。気持ち悪い。半疑問形は人を腹立たせるのに充分だと思います。お恥ずかしい話ですが、僕は、今よりも若かりし頃、19(バンド)が大嫌いでした。おとなげないなあ、とは思いつつも、あの連中のヒット曲、ただでさえ嫌いだったのに半疑問形が多用されていて、目に、そして耳にすると素で、悪い意味での鳥肌が立つ能力を当時の僕は大いに発揮していました。今ではそんな能力も封印し、山のフドウのごとく平穏に、どんな曲を聴いても苛立つという事はほとんど無くなったのですが、そういえばロードオブメジャーっぽいのはどうにも駄目です。そんなわけで今日はスーパーカーのベストを買ってきました。初期ベストなので懐かしい感じです。ロードオブメジャーが駄目でスーパーカーはオッケーってあたりが自分でもとても微妙だと思います。たいした差は無いのに。というか、差はありません。全ての音楽は素晴らしいです。ということはあなたがた全ても素晴らしいです。そういうことにしましょう。面倒臭いから。って、自分で書いてて意味がわからないなあ。今日はとりわけ寒かったです。CD以外にはカットソーも買いました。そんなわけで久々にお洋服が増えましたー。わーい。でもお金は減りましたー。わーん。ああそうか、これが資本主義というやつか。なるほど。

[2003.02.16]

■頭が痛い
 先日宣言した日記ですが早速頓挫しました。毎日更新出来ませんでした。なので、止めました。はて、日記なのに“更新”とはこれ如何に、といった風情ではありますが、その辺りは大いなる優しさで無かった事にして頂きたく願う所存です。

 テレビが壊れています。テレビ、というよりもゲームが壊れています。音声に、ノイズが混じります。僕のプレイステーション2は、ラジオから聴こえる雑音混じりの音楽の様な、そんなノスタルジックな雰囲気を強制的に演出する、小粋な、大人の機械に生まれ変わりました。先ほど、そう、たった先ほど、彼は生まれ変わったのです。しばらく見ないうちに彼は、大人の階段を昇っていました。だから、COOL、と呟き僕はゲームを止め、目を細めました。プレイステーション2の門出に乾杯しましょう。修理とか、面倒、いや、彼の誇りを傷つける事になるでしません。彼はもう、大人なのだから。知ったこっちゃありません。みんな死んじゃえー!(富野っぽい科白)

 つまり、今日は特記事項無しというわけなのだ。弛緩した一日。そういうのも存外、嫌いではない。ただ、そういえば酒を飲んだだけである。心なしか、酩酊感からか投げ遣りの風。あと、今日の文章は一回前の更新と真逆の事を言っており、つまり、まあいいや。

[2003.02.12]

■So I'm comin' home
 日記をつけはじめました。誰にも見せない、ほんとうの日記です。ほんとうの日記をつけるのはおよそ20年ぶりで、何かと戸惑いますけど、起こった出来事や、僕の嫌うあなたがたの事や、僕の好くあなたがたの事などを書いてゆくつもりです。ほんとうのことを書いてゆくつもりです。

 寒い、と思って目が醒めたけど身体が動きませんでした。動かないものは、仕方が無い。仕方が無いから動かない。そうした見事な円環の内に留まる事となった僕は天井を見上げ、ふたたび目を閉じかけましたが、円の内に留まる事はすなわち無為というわけで無理矢理起きてみました。仕方無い、僕はこの言葉を何回思い浮かべた事でしょう。諦めが人を殺す、どこかで僕はその言葉を目にした事があります。だとしたら、僕は一体何回殺されているのでしょう。あなたは、あなたがたは一体何回殺されているのでしょう。なんて、そんな、言葉遊びを弄しても詮無い事です。完全なほど意味はありません。ありますけれど、ありません。無いったら、無いのに、僕もあなたがたもそれでもそれに意味があると思っちゃうものだからついうっかりそのような言葉遊びを口走ったり書き殴ったり力任せにタイピングしたりなんかして大後悔。そんな現代を大後悔時代とはよく言ったもので、と、渾身のセンス・オブ・ユーモアを披露したところで身体が震えてきて仕方が無くなってきました。窓の外に見える、木々の光景はもう15年ほどの間、ほとんど同じに見えます。実際、同じです。

 外へ出ようとしたのですけれど、寒さと、面倒さが僕に飛びかかりがっちりと横四方固めをかけてきたので、身動きが取れなくなりました。外へ出なかったので、パソコンなんていうくだらない箱を起動して、マイドキュメントとかいう恥ずかしいフォルダをダブルクリックして、その下にあるフォルダ(フォルダ名は明かせません)をダブルクリックして、その下にあるフォルダ(フォルダ名は明かせません)をダブルクリックして、index.htmlなんて意味不明の拡張子が付いたファイルを開いて、気が付いたら、index.htmlという汚辱にまみれたファイルのサイズが若干増えるような操作をしてしまっています。あまつさえ、今、まさに、そのファイルをftpと呼称される邪法を用いて他人様の目に触れるような場所に置こうとしている僕が、いるのです。まったく、赤面ものの行為なので、人によっては、この僕を恥知らずと罵り冷笑することでしょう。それはまったく厭な話で、言い返してやりたいのもやまやまなのですが。

 そのような時、みんな死ねだとか、世界が滅べばいいとか、そういう悪態を吐く人を、多く見かけます。見かけてきました。実に居た堪れないことです。みんな死ね、だとか、世界が滅べ、なんて言うのは、冷徹で、傲慢な物言いで、何より大量殺人企図にあたります。人道を外れる、浅ましいことなのです。どうかそのおぞましい言動を恥じてください。僕はと言えば、勿論、そんな事は言いません。僕は、誰かに、死んで欲しいなんてとても恐ろしくて言えません。あまねく皆さんは、生きてゆく権利があると、僕は考えます。僕は崇高です。皆さんが、つまり、あなたや、君や、お前や、あいつや、彼ら彼女らが、どうか全て僕に都合の良い存在でありますように、と、ただそれだけを僕は願っているのです。僕のささやかな願い、届くでしょうか。届く気はしないのですが、それも仕方が無いことです。

[2003.02.08]

■もう、さっぱわかんないからねぇ
 更新したい欲求に駆られてしまった。どうしよう。恥ずかしい。もう駄目だ。

 時に、京本政樹は京本政樹過ぎるし、椎名林檎は椎名林檎過ぎる事があると思うけれど、それに対して僕らが抱く印象は、概して「おいおい」というものだったりするだろう。そのように、容認出来るキャパシティを超えた場合、受け手は困惑し、辟易する。まあそれが世の理かなって、思うのだ、けれど、ソニンがソニン過ぎる場合はこの限りでは無い。走れ、ソニン、どこまでも。

 っていう話とはまるで関係が無いのだけれど、最近、自分の対社会スキルが落ちていると感じる由々しき事態に直面している。先日も会社で、明らかに来客の対応を誤ったと感じ、それを指摘される事こそ無かったものの、結果、暗澹たる奇妙な物質が自分の心の隙間を埋め、平たく言うとどんよりどよどよと落ち込み心中穏やかではなく、全方位謝罪マシーンと化した自分のこころ様は自己擁護の為の謝罪を内面で繰り返しと、まあ、要は碌でも無かった……というお話だったのよ。

 あー、このまま、自分の社会スキルは下落の一途を辿り、ついには職場で発語する事すら不能になり、なんちゃら不全に陥った挙句に自分のいない酒席、或いは自分が帰社した後の社内で、あいつなんでまだ会社にいんのかしら、っていうか、よくクビになんないね、っていうか、クビにしようよ! やあ、それはマーベラスなアイデアで御座いますこと! なんてな愉快痛快の会話の養分を与えてしまうような存在になってしまうのかしら、かしら、駄目かしら、という未来予想図がヤマタノオロチ的に心の中を思う様に蹂躙したのでついうっかり草薙剣、八尺瓊勾玉、八咫鏡に匹敵する現代版三種の神器であるところの退職届、雇用保険被保険者証、B-ingを手に走り出すところだった。しかし、自分はつい一年程前にも脱兎の要領で仕事を辞めた記憶がぼんやりとあるし、何より、今の自分にとって退職届は草薙剣で自らを斬りつける様な結果となり、給付条件やら何やらの都合で雇用保険被保険者証は単に小粋なアクセサリ以上の意味を持たず、B-ingを駆使し履歴書を出したところで結果は乗客に日本人はいませんでした、いませんでした、いませんでした、という按配で僕に目を止める資本家はいませんでした、というのが明白なので、僕は何を言えばいいんだろう。このような危急存亡の事態に際し、僕が何を言いたいかというと、なんか、蟹が食べたい。と、そんな事を思った。もう少し頑張って生きてゆこー。

[2003.02.04]

■エクソダスの準備はOK?
 先日、あんまりなだるさに襲われてたので、なんだろな、って思って、ドラクエ4の人工知能レベルの圧倒的なスペック欠乏症に陥っている自分の脳に、select 病名 from 病名 where 体調 = "だるい" and 鼻水 = "止まらない" and 体温 = "熱っぽい"; という脳データベース操作言語を投げかけたところ、あー、っていうかそりゃ風邪っすねー、知らなかったんスか大将、との答えがへらへらと返ってきた。その返答は、自分の脳味噌ながらむかつく対応だったので、知ってるよ馬鹿と脳の野郎をぽかぽかと殴りたかったけれど、殴ると脳細胞が死滅し、更なる思考能力低下を招くため、聖徳太子レベルの賢明なる判断の下にマジ止めておいた。そういうダブルバインド的状況に苦慮しつつ、なるほど、かくのごとき症状を表現する言葉は風邪というんだったね、とかなんとか考えながら僕は自分の布団に潜入、地獄の潜伏捜査を決行したのだった。まあ、要は風邪でだるいんで寝たんだけれど、いったい風邪のヴァイルスときたら誰の許しを得て僕の体に入ったのだろう、おしえてルネ・ヴァン・ダール・ワタナベ先生! という勢いで臥せっていたら、ルネ先生からの回答はついぞ得られなかったものの、風邪は治ったのだ。というかルネ先生は医者ではなく占いのひとだったのが今回の誤算であったけれど、風邪は治ったのである。世の中そういうものなのかなと思う。布団は暖かくてよろしいですね。というわけで衝動的にメモ(ヤプースのやつ)を消した。ヤプースだるい。落ち過ぎ。ヤプースの野郎は馬鹿じゃねえの、と思う。ちなみに、僕の使う「というわけで」は、前後でまるで繋がっていないのがいつもの事なので気にしないで欲しい。というわけで釣りバカ日誌が「うっかりタマちゃんを釣り上げちゃって大慌て!」みたいな話になっていたのが最近一番驚いた事です。あと島耕作も相変らずすごいことになってた。そう、言うまでも無い事だけど日本は大変なフェーズに突入している。ああ、だから、故に立てよ国民。僕は座ってるけれど気にしないで欲しい。

[2003.02.03]