■She is beyond good and evil
 モーニング娘。が喜び組に! と思ったらさくら組とおとめ組だった。なんて、何の捻りも知性の煌きも感じられない文言(ちなみに天下のgoogle様によると「モーニング娘。 喜び組」で検索すれば43件ヒット)が脳裏に浮かんだ刹那、自分の脳細胞の劣化進行は相当であるなあ、と思ったけれど、正直、わー、なんでもいいからどんどんやれー、ってな心境だ。もっと前なら、ややややべーどうなんのかしら!ってな感じで自分の立場では考えても詮無いのに事の是非を吟味し、大騒ぎしていたのかもしれないなあと思うけれど、今は正直そんな事を考えないというか、おもしれー、がんばれー、で思考がストップする。まあ、昔あれだけモー。モー。と騒いでおった癖に、今騒がないのはあれかな、とは思いつつ、だって冷めてしまっちゃえば其れすら嘘になるじゃない?don't U θink?という風に自分は自分のハロプロに対する醒め具合を肯定してゆきたい。だってそれは、事実なのだから。とは言え、別に嫌いになったとか、そんなんじゃ…違う、嫌いとか、そんなんじゃなくて…あの日の、気持ちは、嘘とか、そんなんじゃ無いし。と、100回のKISSがタイミング良く脳内で再生されたけど、そういえばこの間も、嫌いとかそんなんじゃ、っていうフレーズをサイトで使ってたことを思い出して愕然とした。引き出し少ねー。や、でもなんかあややのCDは今日買った。HMVのポイントが溜まっていたものだから、一緒に適当にTahiti 80なんざ買ってしまったけど、他のを買えば良かったと思った。Tahiti 80ちょっとだるい。ああ、そういえば、だいぶ前から、音楽を聴いてひどく心を動かされるという感覚が無くなった。これは、人としての優しさだとかそういう重要ファクターを失いつつある証左かしら、と考えてみて、常日頃から人に優しくありたいなあと念じながら生きている自分としてはまずいと思った次第なんだけれど、この間旧友に、お前が人に優しいわけねえだろ、優しいのは自分に対してだけだったじゃん昔から、って言われた事を思い出しわー大正解。当たってます。

 でまあ、『理解して!>女の子』解釈アンケート(詳細は1月16日更新分を参照されたし)の結果、と言っても、アンケートなんて胸を張れるほどご大層な呼び掛けでもなかったわけだけど、驚く事に何通かフォームが届いたのでそれを紹介してゆこうと思う。送って下さった方々ありがとうございました。ていうかホントにフォームが来るとは思っていなかったので、どうせならちゃんと歌詞の全文を載せておけば良かったなあ、と思った。ごめんなさい。こんな、わたしを、まるごと、許して。やー、というわけで全文はこちらから。

女の立場として読むと、「キスしてよ」より「かまってよ」ってかんじだと思います。「キスしていいよ」っていうのは「キスしていいからもっとこっち見てよ」という解釈なのではないかと思いました。
 まずは1通目、女性の方からのフォーム。女性の方の解釈、っていう事でこれはもうコイツで大正解!っつう事で良いんじゃないの? なんて思うんだけれど。確かに、この歌詞に出てくる男は、なんなのなによ生返事、で女の子を放っておいて知らん顔的な行動を取っているのだから、これは、わかる。というか、わかる気が、します。やはりこの歌、「かまってよ」の歌だよなあ、と思うのです。

『理解して!』というタイトルからは要求めいた意味と取るほうが自然かなあと思いました。が、自分の中の石川梨華のイメージだと「キスしてもいいよ」かなあと思いました。答えになっておらずすみません。
 あー、なるほど。「キスしてもいいよ」というイメージ、ですか。天下の石川梨華だし、キスしても良いよ、なんて言われようものなら大半の男はコロリと転がりそのまま死んでくのだと思いますけれど、この曲中の男はそうでもない様子で、なんだろな、寧ろそういう奴の方がアピール度が高いのかもしれませんね。石川梨華さんには。

この歌に登場する女の子は、自分を理解して欲しいという意思を持つ、我の強い女の子です。「キスしていいから」という言葉には、キスをして欲しいという要求が含まれていると考えるのが自然でしょう。また、「一緒に迷って欲しいわ」、「映画見て泣いちゃいたいわ」というくだりからは、恋愛に対する憧憬が見てとれます。自分の理想の恋愛をなぞるような、そんな恋に恋する女の子であると言えるでしょう。ですから、理想の恋愛の一部としての、形式上のキスを求めている、といった解釈ができるでしょう。その意味では「兎に角いいからキスしてよ、ダーリン」という説は正しいと思います。しかし、歯切れ良く歌っているAメロ、サビに比べ、Bメロでは女の子の心情を表すかのようにしっとりと歌っています。きっとこの部分だけは直接顔見て言えないのでしょう。ここに女の子の本音があるのではないでしょうか。また、「キスしていいから」という言葉は、男性がキスをしたがっているという前提から発せられるものであり、許諾の形式を取った女の子の強がりであると解釈することもできます。男の子の理想と女の子の理想は食い違っているが、「キスがしたぁw)ぁ廚箸いι・・世韻楼戝廚靴討い襦・屮D垢靴討いい・藥笋里靴燭い海箸砲弔X腓辰討茵廚飽貮爾任后 ここまでの文でいちいち決め付けてるのは、なんかそのほうが面白いかなーと思っただけです。もーすぐ、梨華ちゃんの誕生日ですね。18歳かー。
 途中部分が、恐らくは僕が設置したフォームのファックさ加減により文字化けしているのが誠に残念です。Aメロ、Bメロの歌唱法の相違に着眼しているのが素敵、というか、なるほど!と思いました。理想との食い違い、っていうのは確かにそうだよなあ、と思います。ところで僕が「兎に角いいからキスしてよ」説を採用している理由のひとつは、歌詞の一部分にあるのですけれど、歌詞の中で「去年より ラブラブがいい アツアツの ふたりがいい」という箇所があるのだけど、この曲中の二人、一体いつから付き合っているのだろう、という事が気になって、「去年」から「そこそこ長く」付き合っているのであれば今更「キスして良いから(かまって)」っていうよりは「兎に角いいからキスしてよ(かまって)」かなあ、と思ったのが理由というか、そんな感じです。いずれにせよ、勿論「理解して!」っていうのが根底にあるのは間違い無いでしょう。というか僕も決め付けるのはホント楽しいです。

さて、本日のテーマに関してなのですが、何と言うか難しい。マジ難しい。ぼくとしては、彼女もキスを期待している、でも要求するほどではない、あなたがしたいならしてよね、という、中間的なものではないかと。
 あ、これはどっちかって言うと突き放してる感じなのだろうかなあ。難しい。っていうか中間的というと、キスして良いから、の形を取った要求、っていう感じとも取れるのかも、と思いました。

んと、石川さんが歌に想いを託すのなら「兎に角いいかキスしてよ」っつー方がパブリックイメージであるとゆーか。似合うよね(笑)
 そうそう、似合うよね! わたしを理解してよ、っていうか、こんなわたしをまるごと愛して、っていうか。理解して! なんて冷静に考えればうざったいんだろうけど、石川梨華の場合はその類のうざったさはあまりないというか、寧ろそれがキャラとして成立しているので大いにアリなのでしょう。っつうか余裕でアリ。

石川さんお誕生日おめでとうございます。熟考した結果、兎に角に一票投じたく思います。
 こちらは熟考した上での「兎に角」派。ああ、そうだなあ。石川梨華さんはもう18歳になったのだなあ。最早、自分のハロプロ(というか石川梨華)に対する熱狂期が決定的に過ぎ去ってしまった、というのが自分の中での確定的事実としてあるのだけど、この間久々にハロモニを見たら石川梨華はやはり稀有な存在だよな彼女は、とはやはり思いました。っていうかやっぱ可愛い。よく生まれてきたものだね。奇跡的。石川梨華さん、分社化以降のモーニング娘。も引っ張っていっておくんなさいな、と言いたい気分です。

 と、ここまで寄せられたフォームを紹介しそれに対する僕のリアクションを書いてきたのだけれど、リアクションもグダグダだし、結局、僕の結論としては「解釈っていうかもう兎に角微笑ましいんじゃねえ?」といった温い着地点になりそうな気がする。わあ、自分から問い掛けておいて何たるざまかしら。というか元々、恋の歌の解釈だなんて、先天性および後天性恋愛不全症候群という謎の奇病にかかっている僕が出来る筈も無いわけで、まったく無謀だった。じっと手を見る。

[2003.01.28]

■私のすごい方法
 そう言えば、忘れてた。っていうわけでドクデスバナー。がんばれー。

 それと、リンクを作った。とても重労働だったので、今日はもうこれでお終い。

[2003.01.24]

■すべての日記は消耗品である
 あのね、今書いてるこれね、日記じゃないんですよ。ってまあ自分の中ではだけど。いや、日記は好きだよ。好きだけど…違う、日記とか、そんなんじゃなくて…日記だよ?日記だけど…といった本人以外にはどうでもいい煩悶でもって記述されているこの文章なんですが、読んでる人にとっては多分心底どうでもいいと思うので日記って事でいいです。けど悔しいので今日は映画の感想文を書きます。

・うそっこ映画感想文
 「誰にでも、取り返しのつかない行動を取ってしまった挙句の後悔、なんてのはまあ多分ある筈で、そんな悔恨が満漢全席といった風情の『悲惨!交通事故とその末路』という映画を見た。これは、迂闊にも交通事故を起こした人間、或いは不運にも巻き込まれた人間がどのような運命に曝されるのかに精緻な取材と迫力の映像で迫った1級のドキュメンタリーだ。右直事故、一時停止無視による衝突、前方不注意による事故など、近代以降人類を悩ませる病理を詳細に取り上げ検証し、我々人類に警鐘を鳴らす事を目的とした作品なのである事が研究筋により報告されている。この映画は、知る人ぞ知るスーパー・カルト・ムービーであり、運転免許センターや警察署に免許の更新に赴いた人間のみが目にする事の出来る、幻の作品なのだ。今回、その作品を見る事が出来た私は、誠に幸福な男であると言えよう。感想文おしまい」
 わー。ちょうどうでもいいー。って、いう、わけ、で、何の事は無い、要は免許の更新に行ったんでそんな映像を網膜に強制焼き付けられたってお話。あと本当は、そんな事よりも運転免許センターに多数棲息する官憲の人の態度に憤慨したので義憤に駆られこんな文章を書き始めた、っていうお話でもある。そんでもっと本当の事を言うと義憤も何も警察官特有のちょっとキツい感じの応対をされたのでご立腹、というだけだったりするので、これを書いている人間のかわいらしい矮小人間性が窺え、乾いた笑いのひとつも出てこようものなんじゃないかなあと思われるのです。出てこないならそれはそれで仕方無い。つうかその方が正しい。そんなこんなで、最後に日記を書きます。今日はどうにも体が痛い結果頭痛まで襲ってきたので、指圧に行ってきました。とても痛かった。指圧のおっさんは人の皮をかぶった悪魔でした。あと『理解して!>女の子』解釈アンケートの結果は後日、って事で。ひとつ。

[2003.01.22]

■映画見て 泣いちゃいたいわぁ
 やっべ、更新頻度が段々元に戻ってきた。よくないよくない。ほんとよくない。や、違うんですよ、今日はどうしても書きたいことがありまして、だから書きます、っつう感じで下手に出るのもまぁいいかなって思う。何が? ってよくわかんないけれど。で、蛇足はともかく、だいぶ前から気になっている事があって、それは『理解して!>女の子』という石川梨華が歌っている曲の事。この曲は「ねぇ ねぇ ダーリン キス キスして いい いいから」なんて歌詞が頻出する要はアイドル・ポップスなんだけど、自分はずっとその歌詞の意味を「兎に角いいからキスしてよ、ダーリン」って要求めいた意味だと思っていたんだよね。ああだけど、どうやらわかんないけど、その歌詞の解釈としては「キスしてもいいよ、ダーリン」っていう許諾の意味合いっていうのが一般的に支配的みたいな印象を受けてしまうの。なんか。まあ、一般的に支配的、だなんて、あるんだか無いんだかわかんない構造をそういう風に捉えているのは自分特有の被害者っぽい意識をマテリアとして装備してるからに他ならないんだろうけど、けど、まあそういうのはどうでも良いんだよ、ともあれ無性にあの歌詞、どういった解釈が多数意見なんだろう?って知りたくなって更新してしまっている、わけなんです。勢い余ってフォームまで設置してしまいました。このフォームに、俺はこう思うゼ的な事を書いた上で送信ボタンを押すとあやや不思議、ネットワークとかいう破邪のツールを介してわたくしこと僕のメールボックスに貴方の意見が届いてしまうっていう吃驚ショーが展開されます。あともう一つ吃驚することに、仮にフォームを送ってもわたくしのメールボックスからは何の信号も貴方に送り返されない可能性が非常に高いっていうか、僕の普通に唾棄すべきレベルの筆不精の所為か返信出来ないかもしれませえん、っていう腹立たしい事態も生じる予定なんですけど、それでもいいやってな奇特な方はフォームを送ってみてください。後学の為に参考にします。つうかこんな書き方してるからフォームなんてマジで来ない気がするけど、それはそれでいいや。ちなみに僕は、石川梨華さんは「兎に角いいからキスしてよ」という意味で歌ってる説に一票。だって、その方が良くない? なんか。まあどっちでもいいことなんだろうけど。
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[2003.01.16]

■海へ行くつもりじゃ無かった
 なんか街でやたら髪がツンツンした若者が民族大移動をしているなあ、と思ったら、今日は成人式だった事を思い出した。それにしてもあいつらは20歳か、にしてはやたら顔が老けているよなあ、と思いつつ、観察を試みたら段々気持ち悪くなってきたので止めた。着物姿の女性に関しては別にまあいいんだけれど、でも男が気持ち悪い。大日本問題棚上げ委員会委員であるところの僕が自分の顔を棚に上げつつ言うが、はっきり言って自分も含めて男の顔はマジで気持ち悪い。まあ、女の人でも、うーん、と唸りたくなるような顔の人は確かにいるけれど男ほど酷くは無い。本当、なんで男ってあんな顔しているのだろうか。不細工だとかそうじゃないとか、そういう問題じゃ無しに、それ以前に美醜の問題って言うよりそもそも人間の顔って気持ち悪いものだと思うわけで、特に男が気持ち悪いという事なのだ。なんで人間、特に男の顔ってあんな造形なのかが時折僕は不思議に思うし不快に思う。だって、やっぱ顔って気持ち悪い。って言うより、知り合いとかになると知り合いだしそう思わないんだけど、道を歩いている人とか電車の中にいる人の顔がある頻度で気持ち悪いなあって思う時がある。今日はちょうどそういう日だった。そういった顔が近付いてくる事を想像するとほとんど恐怖、なんて領域まではいかないけれど、まあ勘弁して欲しいなって思う。そりゃ、綺麗な女の人とかだと自分は男だからってのもあってかその限りでもないけれど、でも男の顔ばっかりは所謂美形でも気持ち悪い。でもまあ、自分にしたって気持ち悪い顔をぶらさげて歩いているわけで、誰かを不快にさせているのだからすげえお互い様だ。自分の顔を自分はなかなか見ることが出来ない、というのは割と幸福な事だと思う。今日は建物の屋上から海を見た後に中古CDを4枚買った。


[2003.01.13]

■うっかりして 甘いお茶なんて飲んだり
 大人になるって難しいんだなぁ、と例えば松浦のあやや様が発語したとしたら、日本全国にあまねく男性の多数から共感、というか、そうだよねえ難しいよねえっていうかボクがあややが大人になるお手伝いをしてあげようかしら?なんてな感じのヘドロじみたメッセージが裏に込められた、賞賛を装った形の妄想熱視線を向けられるんだろうけれど、その言葉をあやや様のような年頃の女の子ではなく、この僕が発したとしたらどうだろう。まあ、どうだろうも何もそもそも単に気持ち悪りいし、女性からの熱視線は得られず冷視線を浴びるのだろうし、男からは手前ぇ甘えんなっつうかなんだったら大人になる意味を俺らが教えたるわ暴力で、なんて具合に下手をすればライフラインを絶たれた上での監禁、そして打擲の嵐から東京湾石抱きダイビング旅行へ繋がる死出の旅路コンボ(即死系)を頂く可能性すらあるので、普段の僕はそのような事は言わない。ってまあそんな可能性も実は別に無いけれど。誰も気にしないから。

 で、言わないのだけれどたまには、つうか頻繁に「大人になるって難しいんだなぁ」と言いたくなるような事態に遭遇する事もまた事実なんで、なんだろね、とかくこの世は世知辛い味がする。あまりにも世知辛いもんだから、はて果たして一体今まで自分の思い通りに事態が好転した事があっただろうかなんて考えてみたら、右手の指で事足りそうな回数すら思い浮かばなかったので哀しくなり、思わず黄泉路への旅行を計画しかけた、のは嘘だった。そこまでは行かない。何せ黄泉路は怖い。死んじゃう死んじゃう。そして、思い通りに事態が悪くなった事だったらそれこそ数え切れないくらいあんのになあ、ってな事を思いながら、下を向いて歩こう、涙がこぼれるように、なんていう間違った替え歌を口の中で歌いながらうつむいて歩いたのだった。まあ世の中もっと大変な人はごまんといるのだし、そうそう、下のほうを向いて生きてゆこう、そうすれば惨めじゃないよね。あなたも僕も。って違うくて、そういう事じゃない。思い通りにいかずともでもまあまあ生きてゆけるゼ、っていうポジティブなメッセージを込めた更新なんです。これは。だって、下を向いたら金が落ちているかもしれないでしょう? そんな超ポジティブな自分なのでハンドルネームはまだ決まっていない。あと自作料理を食いすぎたので気持ち悪い。

[2003.01.09]

■日記書かないと手が震える(嘘)
 サイトを再開するにあたり、安西先生サイトがやりたいです、なんて類のハートウォーミングフレーズなぞを発語し自分の涙腺を刺激する、などの行為はついぞ行わなかった為か早速弛緩しきってサイト放置をしていたけれど、まあなんていうか自分は悪く無い。悪く無いのだ。それは正月の所為なのだ。だって野郎、あまりにもぼけーっとした時間をこちらに提供しやがるものだから、サイトなんてやってられっか、みたいな感じになってしまうのは自然の摂理だったっていうか兎に角俺は悪く無い。

 と、誰もいない宙にそんな宣言を口パクでしてみて気付いたのは自分は一体誰に何に何を言い訳しているのかという事だったけれど、これに対しても、今必殺のサンアタック的に強力な俺は悪く無い理論(ore-warukunai theory)を持ち出し事無きを得た。この理論は万能だなあ。っていうか、仕事が始まったら急にサイトやる気が出てきました。逃避。万歳。僕は何かにつけ、どこかに逃げ道を用意していないと窒息する生き物です。多分。つうか気がついたら仕事始まっているのね。異星人に連れ去られた人のように年末年始の休みの記憶が無い。いやあるけど。あるんだけど、早過ぎやしませんか? まったく、お休み様には足下見られてる感が否めない。その、休みが矢の如き速度で過ぎ去ったかと思ったら仕事だもの。まったく油断ならないって話。昨日は職場アドレスにエラーメールが1000通以上きてそれを処理する事に対する大河的面倒臭さを考えて泣きかけた。今日はモーニング娘。に藤本美貴が加入するって話を朝ネットで読んでへえと思った。そんな感じの日々です。明日からハンドルネームでも考えようと思います。気持ち悪い。

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・Best Album 2002
 2002年は諸事情により旧譜ばかり買っていたので新譜から選ぶのは大変困難となっておりますので、旧譜交え「2002年によく聴いていた5枚」という基準で選ぼうと思います。

5:モーニング娘。『4th いきまっしょい!』
 なんていうか、カーステレオや有線から流れてきた時に大いなる効果を発揮する音源っぽい。それって決して悪い事ではないんじゃないかなあと思います。シングルカットされている楽曲群に加え、『男友達』、『Do it! now』などの路線に通じながらも寧ろそれら以上のダサかっこ良さを誇る『初めてのロックコンサート』、ポップな瑞々しさを湛えた『好きな先輩』など曲は粒揃い。とは言え、それらの曲も含め、またタイトル曲である『いきまっしょい!』などをはじめ、かなり無理がある曲が揃っているのもまた事実ですが、力技で乗り切ってる感が漂っていてそれがまた高揚感を生むというか、なんというか。や、多分生んでる。きっとそう。あとアルバム版『Mr.Moonlight〜愛のビッグバンド〜』の脱力系寸劇には否定意見も多いでしょうけど少女革命ウテナ的であら素敵、なんてな風に考えれば脳内補正は万事完了。あとはアルバム全体的にいろんな事が気にならなくなります。っていうか3rdアルバムの時も1曲目とか割と酷か……や、なかなかの飛び具合だったので、モーニング娘。のアルバムはこれでいいのです。聴いてるうちにブレインウォッシュされるので気にせず聴きましょう。段々気持ち良くなってきます。まあ個人的にこのアルバムで惜しむらくはモーニング娘。全楽曲の中で僕が一番嫌いな『でっかい宇宙に愛がある』が収録されている事だけど、かっこよくもなんともない日常にスルリと潜り込んでくる1枚なんで愛聴してました。

4:BIKERIDE『THIRTY-SEVEN SECRETS I ONLY TOLD AMERICA』
 ギターポップのフォーマットを単純になぞっただけ(に聴こえる)音源には食傷気味、という方でもこちらはお薦め出来る1枚。っていうか、その筋の人ならとっくに知ってる1枚っぽいですけれど。フォーマットを援用しつつも多彩な音像を見せる事で群を抜く印象をこちらに与える青春・ギターポップ。なんてそれっぽい記述はここまでにして、あの、良いんですよこれがまた。あんまし幸せじゃない時も、“音楽の限界”(音楽なんて聴いてられるか、という切羽詰り系の状態とそうでない状態との分岐点)を超えていない限り一定時間幸せになれる魔法の一枚。ポップっつうのは多分こういう事を言うのだ、つうかまあ他にもポップなんはいっぱいあるけれど、これはかなりの勢いであれだ、甘い。そんで爽やか。

3:THE FLAMING LIPS『YOSHIMI BATTLES THE PINK ROBOTS』
 もうなんていうか心地良いの一言で済ませたい。ていうか語彙とかそういうのが貧困なのでそれくらいしか思いつかない。寝る前とか聴くと良い。起きてる時でもまあ良いけど。

2:NUMBER GIRL『NUM HEAVYMETALLIC』
 “現時点でのナンバーガール”を余す所無くシーンに叩きつけた快作、っていう表現を一度使ってみたかったので使ってみたんですが、どこかTHE POP GROUPやTAKILG HEADSなんかを(個人的に)想起させる『NUM-AMI-DABUTZ』をはじめ、って、あー面倒くせー、もうなんだか“ナンバガやっぱ格好良い”でいいや。素敵なアルバムです。解散はあらら残念って感じでした。

1:WILCO『YANKEE HOTEL FOXTROT』
 このアルバムが2002年のアメリカの空気を体現していたかどうかなんて割とどうでも良くて。WILCOと言えば乾いたロックンロールを鳴らすバンドで…というかジャンル的にはオルタナ・カントリーって事になっているけど、今作ではアディショナル・エンジニアにジム・オルークを迎えてまた新たなWILCO像を提示しているのが良いですね…っていうのも本当は割とどうでもいいです。そんなのより、まあすげー適当な事を言うと、狂騒でも絶望でもない地点で流れる音楽という感じで、このアルバムは個人的な2002年の気分にぴったり嵌ってたので聴き続けていました。

自己寸評:フレーミングリップスの辺りから明らかに段々やる気がなくなってきているのが今回の更新の特徴。酷い。
[2003.01.07]

サイト設置にあたって

 もうすぐハッピーニューイヤー、ハッピーニューイヤー。いやはや、2002年も終わるなあ、ってんで、サイトを作ってみました。CSSだのなんだのをいろいろ弄ってクールクールクールの3連呼ってな感じのワンダフルデザインなサイトを作ろうと奮闘したのだけれど、やっぱりまるで駄目で、結果、このような毒にも薬にもならない感が否めない適当なデザインに落ち着いてしまいました。ていうかこのデザインは以前作ってあったものを使っているので、CSSやらなんちゃらは結局弄り損。なので、近頃はタイム イズ マネーの意味を噛み締める日々が続いています。

 まあ、なんでまたサイト作ってみたかって、要は自分の脳味噌はゲーム脳ならぬ日記脳ではなかろうか、というお話なのです。つまり。前サイトを閉鎖した後も、恐ろしい事だけど、起こった出来事に関する文章を頭で練ってしまう事があったのですけれど、それに気付いた時は「わあ」って感じでした。ついうっかり頭の中で“日記”を考えてしまっている自分がそこにはいたわけで、全く酷いものです。なんていうか、あれだ、何か書いてないと落ち着かない病っぽい。まー以前のサイトは割と自分の不注意からバレそうになったから閉じたんですけど、今度はもうちょっとひっそりとやっていきたいです。ああ、でもまあ、ここに所謂“日記”はそんなに書きたくないなあという感じですけれど。このサイトは、以前に輪をかけて適当に、更新頻度も適当に減らして、内容も適当にっていうかまあ考えるは考えるけどあんまり考えないで、サイトを運営してるんだかしてないんだかって感じでやっていこうかと思っています。まあいきなり放置とかも、きっとするっぽいけれど。大体、サイト名やハンドルネームからして決めていないし。個人的に、2002年は、「サイトは真面目に更新しすぎだけど生活が適当」って感じだったんで2003年はその裏をかき、逆を突きたいものだなあと思います。わかんないけど。いやまあがんばります。サイトじゃなくて人生とかそういうのを。

[2002.12.31]