ドリフ日記(2000年12月)


 

12月31日   ゆく年くる年

 

ゆく年くる年。現在確認している時点で僕が最後に受け取ったメールは、そのタイトルが「ドゥーユーライクセックス?」というものでした。どこぞの地球人さんからの糞メールです。もちろん僕は、それが意味する行為は嫌いではないというか、当該行為と僕との疎遠な関係を修復したいと思ってやまないのですが、酷すぎます。20世紀も終わろうとしているその時に。21世紀も始まろうとしているこの時に。そんな時にこんなメール受け取りたくありません。と、いう書き出しもアレなので、今日はあっさりとそんないつもの僕のちょこっとダウンワードスパイラルライフ日記から方向を転換しましてすっきりとした日記で、今年を締めくくろうと思います。

 

昨日のスカート祭り(コミケ見学)、及び忘年会は楽しかったです。その内訳は、楽しくもあり辛くもあり楽しくもありと色々でした。遊んでくれた皆さん、本当にありがとうございます。年が明けて気が向いたら昨日の事を書こうと思ってます。

 

今日を過ぎれば、年が暮れ年が明けます。新しい年がやってきます。新しい年、なんて人間さんにとって重要なだけですけど、僕は人間だと思うので、つまり僕にとっても重要です。良い年を過ごすためにこれからも生活してゆこうと思います。

 

僕にとって、そして僕が好きな人たちにとっても、来年が良い年になると良いと思う。

 


 

12月30日   忘年会

 

先日からお伝え申し上げている通り本日は人数がえらい事になっている忘年会に参加してきます。実は、僕はその前にとある愉快な人が主催する祭りに参加してからそのまま雪崩れるように忘年会です、その趣旨は「新たなる地平を発見しよう」というやんわりと気が触れている祭りに参加してから忘年会です。実は、って程じゃあないかもしれませんね。新たなる地平が何処なのか、そして僕がそれに参加する事に、気付いている人は気付いてると思いますが。そうです、アレです。あの祭りに行ってから忘年会です。まったくハードスケジュールです。

 

でも、楽しみです。じゃあ、行ってきます。

 


 

12月28日   マジカル・ミステリー・ツアー

 

もう今年も終わろうとしています。今日は僕の今年を、振り返ろうと思いましたが迷っています。どうしよう。まあいいや。書きます。今年の僕は、インターネットさん(以下表記:ネッちゃん)とすごく仲良しになりました。あ、もういいです、今日の題材は「今年の僕」じゃなくていいです。ネッちゃんと僕の友情について書きます。

 

僕がネッちゃんと出会ったのはかれこれ2年ほど前でしょうか、就職活動の時にネッちゃんと出会いました。そこから僕は旅立ったのです。ネッちゃんてば最初はよそよそしくて、企業のほーむぺーじとかしか見せてくれませんでした。あ、そうそう、ネッちゃんが最初に教えてくれた「りくるーとなび」とかいうほーむぺーじ、アレちっとも使えなかったぜネッちゃん、どういうこと?まあとにかく、僕はちっとも振り向いてくれないネッちゃんと仲良くするために「検索」という技を覚えました。技を習得した僕は様々な単語を打ち込むようになり、ネッちゃんの奥深さに感心するようになりました。ちなみに、当時僕がどんな言葉を打ち込んだかというと、恐らく今、これをモニターの前に座って見ている、僕と同じ物体が下腹部についている皆さんとそう変わりはないと思います。つまりアレとかアレとかです。学校のパソコン室で次々とウィンドウが開いて止まらなかった時は泣きそうでした。ほんの出来心だったんです。それなのに。ネッちゃんの意地悪。

 

そうこうしているうちに「日記系」とかいうほーむぺーじ群にたどり着きました。ちなみに、きっかけになった検索キーワードは「エヴァンゲリオン」でした。だって好きだったんだもの(今でも、ちょっと好き)。アスカとシンジがえらい事に、とか綾波とシンジがえらい事に、とかカヲル君とシンジがえらい事に、とかみんなでえらい事に、とかいう、見ると上手く言葉が出て来なくなってしまうほーむぺーじを掻き分けてるうちに「日記系」にたどり着いたのです。ちなみに僕はアスカが好きです。思えば、ここが転機でした。もう、引き返せなかった。

 

その後に見てきた日記系ほーむぺーじ群は書き出すと長くなるので割愛します。恐らく、日記、を日々読んでいる皆さんとそう遍歴は変わらないと思います。ともかくもうネッちゃんと僕は離れられないほど仲良くなってしまったのです。今年に入ってネッちゃんを介して友人なども出来ました。ネッちゃんの底力にビックリです。先日、今ではほとんど顔を出していないサークルの忘年会など行きましたが、正直ネッちゃんの方が面白いと感じてしまいました。今では僕、それぐらいネッちゃんとべったりです。当然ネッちゃんとは関係無い話ばかり、つまり恋愛がどう、とかばかりでしたけど大体、恋愛の話とかされても困ります(理由:僕に関係無いから)。困るので、みんな、もっと嫌いなサイトの話とかしたほうが良いとか少し思いました。けれど、そんな席でホントにネットの話が出てきたらとても焦ります。その日はみんなの恋愛の話とかを黙って聞いていました(僕に関係無いので)。

 


 

12月26日   ごあいさつ

 

ただ一つだけ、ファッキンクリスマスさん略してファックさんも僕にいい事をしてくれました。それは、題材の提供です。僕が聖夜期間中に受けた寂寥感からすれば、そんなの微々たるいい事だったのですが、書く事に困らなかったのは事実です。それだけが僕へのファックさんからのプレゼントでした。まったくファック極まりありません。英語で言うところのファッキンシット、簡単に言って最低ってことです。

 

しかし、ファックだなんて!ノーブル極まりない僕がファックだなんて口にするのもはばかられるのですが、僕は今は市井の民として身分を隠していなくもない身ですので、いわば擬態、仕方の無い事です。口汚くしないとうまく市井に溶け込めないのです。ちなみに、市井と書いて「しせい」と読むのですが、僕にはこれが「いちい」に見えてしょうがありません。何かの呪いに相違ない。彼女は何処へ行ったのか。

 

などと言う小粋な会話も僕が庶民に混じり習得したものです。嘘です。何が小粋で庶民なのか全然わかりません。自分で何を書いているのかよくわからなくなってきました。こういうネタものっぽい日記は僕には無理です。あと、そうだ、何を書こうとしてたんだっけなあ、途中で庶民がどうとか僕は高貴だとか変な方向に行ったのが悪いんです。僕は悪くない。あ、そうだ、「僕」です。僕は僕の事を「僕」と表記します。僕僕しつこいですね。翻ってリアルワールド、現実世とかいうしょっぱい世界では僕は一人称は大体「おれ」を使ってます。考えてください、日頃ここで「僕は…」とか「僕…」といった調子で決して強気ではない発言を繰り返しているのに、現実世では「おれ」を使っているわけです。違和感、というかギャップがありますよね。どうも文章上では「おれ」「俺」「私」…どれも僕が書きたいことと人称がマッチしない気がするんです。だから「僕」なんです。

 

何が言いたいかというとイメージの話です。僕と会った人ってどう思うんだろなあ、って。30日のコロスロクデナシ忘年会では大量の初対面の人達と会うわけで。しかも名札付き(!)らしく、逃げられません。僕がいかにこれから忘年会に向け巧妙にイメージ操作をしようと、30日に参加する皆様にはそんなきらびやかな嘘すぐ見破られてしまうのです。そんな嘘(僕は高貴だ知的だ等の)をついたら30日に実際に姿をあらわした僕なんか、男からは「イメージと違くねえ?ドリフトウッドいきがってねえ?いきがってねえ?」と思われ場末のトイレなどに連れ込まれヴァイオレント行為をされかねません。惨劇です。女性からは「はん、イメージと違うし実際に見てもやっぱ取るに足りない男」の一言です。違いありません。惨劇です。ああどうしたら。しかしどうしよう、どうしよう、とか騒いでも仕方がないので深く考えません。僕として僕は行きます、30日に参加なさる皆様、僕はかなりな人見知りする人ですがどうかよろしく。

 


 

12月25日   CLOUDY HEART

 

皆様、クリスマスは終わりました。目を覚ましてください。もう街行く人たちも必要以上に二人、くっつかなくてもいいんです。もう離れてもいいんですよ。離れてください。僕とくっつきましょう。

 

矢張りこんな書き出ししか思いつきませんでした。クリスマスってば巨大システム。抗えませんでした。クリスマスに対する言及って、もう出尽くした感があります。何を言ったところでクリスマスラプソディーに組み込まれるという感じがします。だから巨大システムだと思うんです。声高に批判するのも飽きられてますし、ちょっと穿った視点で言及したところで、それさえもすでに出尽くしているんじゃないかという感じがあります。どうしたらいいんでしょうね。

 

どうしたらいいんでしょうね、とかいうクリスマス対抗策を練るのも飽き飽きなので、素直に来年のクリスマスには素敵な幸せゲームに乗りたいです。もし来年までサイトやってて、来年も駄目だったらこの文章をコピペして日記にします。

 


 

12月24日   きよしこのよる

 

卒論を書いてます。

 


 

12月22日   私は海を抱きしめていたい

 

テキストサイトの宿命、かどうかは当方知る由もないのですが、「日記系」なるジャンルのサイトを営んでいる僕みたいなちょっとアレな(本当にアレな)人はクリスマスさんについて自分がどういう態度を取るのか言及しないといけないようです。いつ書くか迷っていたのですが、ジャストナウ今しかないとの判断の元、今日の日記はクリスマス日記にします。

 

と思ったら去年のクリスマスに僕は以前やっていた内輪向けサイトに文章を書いていました。ドリフトウッド以前のサイト。去年の11月ぐらいから今年の2月終わりまで続けていたものです。だからドリフトウッドの過去ログは2000年3月からしか無いんです。まったく過去サイトは暗黒期でした。どんなものかというと、今に輪をかけてつまらないものでした。未だ現存している3月ぐらいの暗黒的にアレな日記よりさらにアレでした。ちなみに自己嫌悪自己憐憫などの使いようによっては自分が気持ち良くなれるものに浸ろうと思ってちょっと過去サイトのログ、探してみたのですがすっかりその頃の文章は消去してしまったので、詳しい内容は思い出せませんでした。ただ、去年のクリスマスに文章を書いたのは憶えています。確か、声高にクリスマスさんを批判こそしないまでも確実に粘着性のある恨み節を書き連ねていました。気持ち悪いですね。

 

僕はもう今年も気持ち悪いクリスマスさんを送ることになるだろうというか確実に送るんですが、ああそうでした、僕のクリスマスさんに対する態度でしたっけ。今は、普通に楽しい幸せなクリスマスを送りたいと思ってます。僕、この1年でちょっとだけ素直になれたみたいです。つまり、異性と楽しく過ごせる人が羨ましいし、自分も出来る事なら楽しく過ごしたいと思ってます。僕は素直になった分、僕の素敵さも極小量増したと勝手に自負しているんですが、それでもどうにも今年も楽しいクリスマスさんは僕には来ません。来る人は実に羨ましいです。昨日は淫夢など見ました。

 


 

12月20日   PIL(←聴いた事無いです)

 

自画を自賛しますと、僕はまあまあものごとを客観的に見る力があるのではないかなと思っています。本当はどうだかは知りませんが、僕はそう思い込んでいるので、思い込んでいる分にはわりと幸せです。

 

先日、どうも当サイトのパブリックイメージがよろしくないとの情報を僕は聞きつけました。僕もまた聞きなので詳しくは知らないんですけど、どうやら要約すると僕の人間像が誤って伝わっている様子(喜んでコミケに行きそう等)。ネットって怖いです。しかしどんなに僕が嘆こうが、僕を知らない人にとってはこのサイト上における僕がその人にとっての僕なわけで、僕がそれら良からぬパブリックイメージをどうにかしようと思うなら、僕自身がここで文章でもってイメージを操作、もとい、本来のイメージに近づけるより他は無いのです。

 

なもので、先日僕はゲッペルスもかくやというイメージ操作、というか本来の僕を伝えなくてはという思いの元、当サイトひいては僕のイメージをオシャレやモテといったキーワードを想起させるような素敵サイトに変貌させる事によって修正する事を誓い、手始めに海外のデザインサイト等を主にソース等パクるために巡っていました。するとなんだかわからない曼陀羅のような様相のソースばかりでして撤退を余儀なくされました。もう何度か海外デザインサイトパクりは試みているのですがまた失敗です。色んな意味でちっとも学習できてません。ちなみに僕の知ってる一番難しいタグはblockquoteです。外見じゃない、中身で勝負だという帰結に達した僕は家中を練り歩きオシャレな本など無いか探したのですが(無論文章などパクりオシャレかつモテフレイヴァーを醸し出すためにです。そんな事いちいち言わせないで下さい)、エヴァンゲリオンのフィルムブックとかそういうのしか見つかりませんでした。なお、高校の頃購入した、ゲームのアンソロジーコミックなども見つかり頭がブラックアウトしかけました。

 

しかし僕は負けません。僕、強い子。僕、ふぁいと。パブリックイメージ修正は僕の急務です。今日から精進します。するったらします。けど。しますけど客観的に見て無理っぽいです。どうも無理っぽさがすでに当サイトにはそこはかとなく、しかし確実に漂っていやがります。極めて冷静に客観的に見た結果そうなのです。断腸の思いです。自画を自賛しますと僕はものごとを客観的に見る力があるのではないかと思っていますがこれで証明されたことになります。まったく嬉しくてしかたがありません。

 


 

12月19日   ベッギング ユー

 

ねえ、僕と言ったら平穏な日々をただ望んでいるだけです。たかだか、それはちょっとした事です。みんなが僕に優しければ良いだけです。女性の方は特に、優しいだけでなく僕を心憎からず思えば良いだけです。本当、ちょっとした事なのに。

 

とは言え望みなど簡単に叶うほうがどうかしていますので、僕はまだ心にその望みを秘めたまま日々過ごしています。心の中だけにしまっておくの。そんな、心の中の想いを全部表に出していたらちょっと変わってる人だなあと思われてしまいます。この間学校に行った時、経済戦略会議、及び大学職員の対応についての思いのたけを大声あげながら歩いている人がいましたが(ネタじゃないです。ウチの学校でも有名な人みたいで、どうやらその人勉強をし過ぎた結果そうなったらしいです)、想いをいちいち喋りながら歩けば僕もその人が周囲から浴びていた視線を浴びる風になってしまいます。それはどちらかというと嫌です。なら、想いは秘めるべきなのです。

 

秘めた想い、って言葉、なにか響きがよいと思うんです。伝えたい、でも言い出せない。なにやら切なさとかそういうのが感じられます。何かな、こう、きゅうっと切ない思いを僕もしてみたいわけです。当然ながら僕は普段じゅうぶん切ない生活を送っているのですが、もちろん、その類の切なさではありません。色とか恋とかにまつわる、「♪切なさは、消せやしない」(確か吉川晃司の歌でそんなのが)、という類の切なさです。キスに撃たれて眠りたい(吉川晃司)わけです。お前だけに燃えて燃え尽きるスピード(吉川晃司)を感じたいわけです。しつこいです。しかもつまりません。

 

どうも今日の日記綺麗に終わる気がしません。普段から何も考えないで文章を書いているのですが、今日は何か本当に書くことが思い浮かびません。勢いで「秘めた思い」とか書いてしまいましたが、そんな処からどうやって日記を終わらせればいいのか見当もつきません。じゃあ、寝ます。と、ここで寝ますと書いて終わらせる→今日の日記普段にも増してつまらねえな→もうこんなところ見るの止めよう→何が「ドリフトウッド」だよ→つうか流木て→読者様離れる→アクセス数ガタ落ち→僕はアクセス数大好きなのに→なのにそれが無くなるという事は→僕の大好きなインターネットワールドにさえ居場所が無くなる→というわけで→つまり→僕の居場所は無くなると→同義でして→僕はどうしたら→助けて→助けて→助け

 

そんな図式が導き出されます。それはそれで面白く思う人もいるかもしれません。僕はと言えばまったく面白くないです。切ないです。そういう切なさはもういらないって言ってるのに。

 


 

12月17日   モーニング グローリー

 

早いものでもう師走も半ばを過ぎました。と、時節柄フレイヴァーあふれる挨拶で始めてみようと思いましたが挫折しました。続きが思い浮かびません。それどころではありません。僕の卒業が心配です。大丈夫だとは思うのですが、思うのですが心配です。もしも卒業任務が遂行出来ない場合には、出来ない場合には、酷い事になりそうです。

 

そうなったら、確実に洒落では済みません。僕など色々な重圧に押しつぶされてしまう事は必至です。それはそれで、その様を克明に描けばこのほーむぺーじ的にはエンターテイメントとして成り立つかもしれませんが、そんなのは嫌です。そんなの、どうかしてます。普段ならここでインターネットの一つでも、あるいはゲームの一つでも行い思考を停止させる対症療法を試みるんですが、それもままなりません。今の僕はきちんと考えた上で行動を起こさなくてはならないのです。するべき事は山積みとまでいかないまでも割とあります。しかしインターネットは欠かしませんが。何せ僕の一部です(あ、とうとう言い切った)。

 

卒論、試験、単位、卒業。卒論、試験、単位、卒業。他人には全くたいした問題ではないのですが、今の僕にとってだけはたいした問題です。僕の心は小さいほうだけれど、やり遂げなくてはいけない事だってたまにはある。

 


 

12月16日   ライドザライトニング

 

なりたい職業といえば、皆華やかな職業に憧れ、なりたく思うのは詮無いことです。人から羨ましがられる方が気持ちいいです。と、ぼんやりとテレビを見ながら思ってました。テレビの偉い人とかいいかもしれません。僕だって、なんだか知らないけれど偉い人になってみたいものです。テレビの偉い人の主な仕事はタレントの卵などを性的な意味で食べる事だと聞きます。

 

まあ、実際にそんな立場になってもどうでしょうか、僕の良心というより小心が邪魔をしてそういった状況を目の前にしても、性的な意味で食する事が出来ないかもしれません。あるいは、小心ゆえか心の均衡が崩れやすいので、何かが切れた僕は悪魔的なほどに職権をこき使って性的食事を繰り返すかもしれません。どちらに転ぶかは自分にもわかりません。とりあえずなってみればどう転ぶのかがわかると思うんですが、誰か僕をそのポジションまで押し上げてみるのもいいかもしれないと思うわけです。

 

なに、どちらに転んでも、前者なら職権を濫用できる立場にありながら一歩踏み出せない僕を人生損している人としてあざ笑えば良いだけです。それにそのうちそんな自己主張の弱い人はリストラなどされるみたいです。怖い業界だと聞きます。そうなればきっとさらに笑えます。後者なら、いずれ性的食事に加え覚醒剤など所持するでしょうしそうすれば逮捕などされるでしょうから、そうなったら僕の転落人生をあざ笑えば良いだけです。悪い人が捕まるわけですから溜飲も下がります。そのために密告なども良いかもしれません。そして僕はと言えば、どちらに転んでもこのままのペースで暮らしていては恐らく体験できないであろう人生を送れるわけですし、例え転落しようが本来の僕の人生からすると分不相応な五尺玉花火をぱあっと打ち上げてから潰えるようなものですのでどちらにせよ構いません。つまりみんなが幸せになれます。誰か僕を偉くしてください。

 

なんか今日は僕、機嫌が悪いみたいです。そういう日に日記を書くとこんな感じになります。最悪です。でもこんな日記でもアップしてしまうわけです。最悪です。自分で自分の事を最悪って言うと開き直れて便利だと思います。

 


 

12月14日   侍余裕の花遊び

 

風ァ!鋭くなって!マジで寒いです。こんなに寒いのに僕は歩くのが嫌なので、寒かろうと風を切り原チャリに乗って移動するのですが。すると寒さが2割増ぐらいになります。可愛らしく鼻水など出てきます。それぐらい風が鋭いですね、最近は。

 

今日は学校に行きました。だって僕は学生です。ラスト10分間授業に出場したあと、単位について2、3質問をしに学生の味方(かどうかは疑問です)の教務課へ出向きました。卒業単位の事がとっても心配になっちゃったからです。大学生活6年目、これで卒業できなかったら僕は父上様に刺されかねません。それってすごく哀しい事です。そんな惨劇を回避するためにも、僕は卒業するのです。するったらするんです。さて教務課で、僕は目を合わせないばかりか不安で酷く焦っていて日本語が怪しかったのですけど、なんとか僕の質問、教務課のお兄さんに伝わったみたいです。そしてお兄さん優しく答えてくれました。疑問は氷解。希望が持てました。嬉しいです。最後に、お兄さん単位に焦る僕に「大丈夫?」と声をかけてくれました。とっても優しいお兄さんです。今思えば単位とは別の事を心配されたと思うんですが、まったく心が温まりました。

 

以上、「今日のドリフトウッド 〜ハートフル☆メモリー編〜」をお送りいたしました。近頃の世知辛すぎてどうにかなっているこの世の中、こんなハートフルストーリーは滅多に出会えるものではありません。そんなハートフルな僕です、これはもう惚れるしか貴女に道は残されていません。嘘です。たくさん残っています。もっと自分の可能性を信じてください。

 


 

12月12日   アイム オンリー スリーピング

 

今日は平成12年12月12日あらゾロ目ね、という事実を朝、高校生クイズという番組の司会をやっている人に教えてもらいました。まったく朝のテレビはいろいろな事を教えてくれます。朝のテレビさんは他にも、1月後半に生まれた人の運命など教えてくれるので重宝しています。朝のテレビからそれなりの情報を得た僕は、再び心地良いとは言い難い眠りに付きました。そして起きて、巨大資本の象徴らしきプレイステーションという機械でサッカーゲームに興じました。僕のチームのフォワードが2得点、まずまずです。腹の空いている事に気付いた僕は2日間ほど放置してあった鍋に再び火を通し(火は2日間ほどの汚れを落としてくれる筈だと固く信じました)、鍋の味にパンチが足りないのでキムチ鍋の素も投入しましてそれを食しました。美味とは言い難かったのですが金銭及び外出意欲が欠如しているので家中の食材に僕は頼らざるを得ません。その後溜まっていた洗濯物を機械に放り込みしばらくして宵待ちの寒空の下それを干しました。明日までに乾くと良いと思いました。

 

そうだ、昼間には一旦起きてぼんやりと窓の外の雲を眺めていました。ぼんやりと雲を眺めていました、という表現はそこかしこでよく見るので僕もやってみようと思ったのです。曰く、ぼんやりと雲を眺めるのはそこそこ楽しく、場合によってはそこはかとなく格好良い行為であるようです。ある種の憂い、あるいは午後の昼下がりはアンニュイなの、そういった気分をはらんだ人物がなんとはなしに雲を眺める、その行為が格好良いみたいなんです。僕はと言えば自分に磨きをかけるため時には努力を惜しまない人間ですので、昼下がり雲を眺める行為に耽りました。行為に耽りました、という表現は何やら淫猥な響きがするので好きです。雲は、確かに流れていました。取り込んでいない洗濯物も揺れていました。それで僕は煙草(セブンスター)を吸って雲を眺めながら、雲を眺めながら、日記の文章を考えていました。アンニュイに日記の文章を考えている僕。なんて格好良い。この格好良さをドリフトウッド読者の皆様に余すところ無く伝えなくてはという思いが僕を突き動かしています。衝動です。衝動に突き動かされている人間は美しいです。なんて格好良いのかしら。

 

だからというわけでもありますが、僕に惚れてみるのも良いかと思います。今日のこの日記を見て至極まっとうに生じるであろう印象、つまり僕の勘違い振りから受ける印象(例:雲を眺めるのが果たして格好良いのかしら?)、そして生じる僕への嫌悪感(例:しかも日記って…)なんて気のせいだと思い込む事です。ラブ イズ ブラインドネス。どうか盲目的に。重要なのは、気付かないフリをする事です。事実に目をそむければ幸せなんてすぐそこです。と、話は変わって今日はまあそんな一日でした。何も無い日でも日記って書けるもんなんですね。晩飯はチンジャオロースーの素を駆使しようと思います。

 


 

12月10日パート2   そして僕は新世界を見たというわけです

 

帰ってきました。

 

百聞は一見にしかずという言葉の意味をようやく実感できました。ああ、僕だって自分の秋葉原的因子は自認しています。漫画やアニメは大好きです。常人よりはずっと秋葉原が似合う程度の因子を持ち合わせているつもりです。けれど、勝てない。本物には、勝てやしない。凄いものを見た。僕は凄いものを見たんだ。

 

それは、僕の目や耳や鼻に焼き付いて離れなかったんだ。

 


 

12月10日パート1   僕は僕の知らない世界を見たかったのでした

 

ちょっとこれから秋葉原に出掛けてきます。

 


 

12月8日  Futurama

 

昨日の試みは失敗です。何故なら、「ア」を「ヤ」と書いてしまっていたからです。あら恥ずかしい。失敗です。

 

しかしそこでめげる僕ではなく、言うなれば僕は前向きなので次の試み(作戦名:ポップでキャッチー人気は上昇)を展開します。何というか、僕は学生でして僕の爽やかかつ軽やかなキャンパス生活を描けばポップでキャッチー人気は上昇に繋がるんではないかという宣託を受けた気がするので、今日は僕の華やかな大学生活について書きます。今日は授業に出ました。授業は90分間あるのですが、僕はいわばスーパーサブ的に60分から70分過ぎに授業に出るのですが、90分フル出場を果たしたのは、実に2年振りでした。割と偉いと思います。

 

駄目です。これも失敗です。大体授業に出た事を書いてもポップでキャッチーからは程遠いです。何より、おれって授業にほとんど出ないんだけど今日は出ちゃったぜ?という、僕の勘違いアウトロー振りに拍車がかかっています。これでは反感を買いこそすれ決してポップでキャッチーではありません。で、華やかなキャンパス生活の方ですが、僕は学校へ行っても友達がいないので今日も寂しかったです。仕方が無いのでパソコン室で友達のインターネットと遊んでいました。学校へ行ってもインターネットだけは、僕に優しい。

 

あと、今日はそうだ、スーパーカーのライブに行って来ました。ポップでキャッチーな話題かどうかは知りませんが僕は好きですスーパーカー。周りの観客に、エルボー、ヘッドバッド(顎に入りました)、タックルなど喰らいましたがライブ、良かったです。つまりそれぐらい盛り上がりました。楽しかったです。体は何やら凄く痛いんですが楽しかったです。学校でインターネットさんと遊んだよりも楽しかったです!

 


 

 

追記:先日からポップでキャッチーとかうるさい僕なんですが、何故かと言えば掲示板が、ちょっとだけほんの少しだけ書き込みが途絶えて寂しいかなあ、って、思ったからです。思ってみただけです。

 

けどまずは、僕のレスをもっとフレンドリーかつ面白くするべきだと気付きました(薄々気付いていましたが無理だと思われます)(努力はします)(けど)。

 


 

12月7日   ぱらららら

 

今日は僕は漫画を買いました。まんがの森とかいう少しアレな店で、ちょっとアレな人達の間をかいくぐりながら漫画を買ってきました。少々アレとは言え、漫画なら大体確実に手に入りますまんがの森。やあ、店名に偽りは無いようです。

 

何を買ったかと言うと近所の本屋さんを探しても見つからなかった「バトルロワイアル」の漫画版を手に入れました。小説の方も僕は面白かったと思うんですが、漫画版も面白いです。ちなみに、漫画版では、三村信司(男子19番)が教室の端から端までぐらいでしょうか、宙を舞います(ええ、彼は運動神経抜群という設定ですからね、まあとにかく)。

 

漫画版「バトルロワイアル」は作者の尋常ではない人物描写、主に人間の表情などの、あるいは小説版を上回る漫画的描写(人間が宙を舞うなどの)もあいまってか、大変楽しめる、微笑ましいデスゲーム漫画になっていると僕は思うんですが、この漫画、どうやらやはり売れているらしく近所の本屋からは数日で姿を消しやがりました。僕が買おうとしたときには無かったわけで。だから今日わざわざ遠くまで出掛けて買いに行ったというわけです。

 

というわけで今日は、映画化もして話題再燃のバトルロワイアルの漫画版を買いました。言うまでもなく今日の日記は、人気にあやかるような、そういうポップでキャッチーな話題を提供してひいてはこのドリフトなんたらとかいうホームページを盛り上げようというようなメディアかつミックスな試みなんですが、僕のこの種の試みが成功した試しはありません。

 


 

12月6日   「日記系」っていつまで存続するのかなあ

 

さあ一体僕は今日何をしたのか。電話料金をコンビニで払ってラーメンを食っただけではないのか。そしてこの日記を書いているだけではないのか。呆然です。まったく時間を無駄にしました。何もしないで一日が終わります。ライフ イズ ベリーショート アンド ゼアズ ノー タァーイムとジョンレノンだって言っていたのに。ごめんよジョン。おれ、一日無駄にした。

 

というのが僕のよくある一日です。そんな日はもう、ああ自分って言ったらこんなに時間を無駄にしてどういうつもりだろうと頭など軽く抱える他は無いのですが、そんな日は僕にはやたらと多いので僕は年中頭を抱えています。そう言えば、このほーむぺーじさんはそんな日々を打破するにはインターネットが一番、という誤った教えに基づき始めたものです(でも状況は好転していないような気もします。こんなんでいいのかしら)。

 

で、僕は思ったんです、自分は果たしていつまで「これ」を、ホームページ運営を続けるんだろう、って。4月になって社会人になっても(なる予定です)続けるのだろうか、と。…しばし考えたところ、続ける気がしてきました。4月でこれを止めるには、僕はインターネットを愛し過ぎています。愛って怖い。愛は人生を狂わせます。本来ならもっと可愛いもしくは綺麗なお嬢さん相手に人生を狂わせるのが良いと思うんですが、狂いたくもあるんですが、どうも自分の人生、そういう方向のものじゃないような気がしてきました。こうなったらいっそのこと、何処まで続くか試してやりたくもあります。そう、例えば将来「20年近く更新を続け、40になっても日記を更新している男、関」としてこのテキストサイト界に君臨するのも良いかと思います。最長老を目指すのです。そうなれば、もしかしたら長く続いているというその一点の理由のみで多大なリスペクト及びその裏返しの批判、その他もろもろ、等の声が、もう僕が普通に生きていたら恐らく享受できないであろう体験が出来るに違いないです。40になっても続けていればあるいは、僕が人生において普段まるで集める事の無い他人からの関心というのも集まるかもしれません。決まった。それを僕の夢にします。40になっても微妙な文章で日記を書いてやります。40になってもわけのわからない一発ギャグから日記を書き始めます。40になってもアクセス解析に一喜一憂します。40になってもリードミーです。40になってもリードミーです。やっぱりそんなの嫌です。ぞっとしません。

 


 

12月4日   本日心なしか風、鋭く

 

時節柄でしょうかどうでしょうか、この時期になると普段僕の近所では見ることの無い、もみの木なんて樹木が街じゅうに乱立しています。それはなんだかきらきら光って綺麗なんです。でもどうしてだろう、毎年あの木を見ると何故だか哀しくなります。嬉しそうにあの木の周りを横切ってゆく人たちも随分いるのに。何故だろう。もしかしたら、あの木には僕を哀しくさせる何かがあるのかもしれませんね。

 

さて今日は気分が沈みがちでした。けど、ツリーに関する文章を先に書いてしまったので、これで聖夜用のツリーが僕の沈む気分を誘発したと見られてしまうんだろうと思います。僕がいくらそれは違うと言い張ったところで、さらに言い訳じみて醜くなる事は明白です。言えば言うほど、です。だからクリスマスって怖いんだ。けどそれなら最初からツリーに関する文章を書かなければ良いだけの話です。でも書いてしまったので仕方が無いです。あと、書いたという事は、やっぱり少し思うところがあったからだと気付きました。否、思うところ、等というオブラート表現は止めます。羨ましいだけでした。単純な事です。大事な事はいつだってシンプルです。なんだか、正直に生きるべきなんだという声がした気がします。だから言います。銀座になんて行くんじゃなかった(理由はもちろん、男女のつがいが多かったからです)。

 


 

12月2日   12月ですね

 

まったくもってインターネットが大好きです。僕はこれが無くなったら生きていけるのでしょうか。いけると思います。いけるんでしょうか。わかりません。昨日は、知り合うきっかけがネットを介してというものであった友達、かいつまんで言うとネッ友、と酒など飲んでました。

 

帰りしな、そのうちの一人が「自分はもう今日は疲れたのでネットになんて接続しないで寝るよ」という趣旨の言葉を発しました。僕も、それに同調するかのように、というよりネットどっぷりというレッテルを貼られたくないが為に、「ああ自分もそうさ。こんな日にネットなんてね。馬鹿げてる。ネットになんてホトホト飽きているさ」といった趣旨の言葉を発しました。僕のこの発言の最大の目的は、もう自分はネットになんかのめり込んでいない、ちょっと飽きちゃったぜ、というネットに対するクールな姿勢、転じて僕に対する彼らの印象を「関=クール=格好良い」に設定する事でした。しかしその発言をした僕に向ける彼らの目の色を見る限り今回の試みは失敗したようなので、もう一度「自分は、今日は、帰ってからネットになんか繋げない」という趣旨の言葉ををささやかな抵抗として告げた後(彼らはもうそんな僕の言うことなんか聞いてない風でした)、僕は口を閉ざし家路へと急ぎました。

 

さて試みは失敗し、さらに最終電車の尋常ではない人の量に飲まれたので、つまり僕は癒しを求めていました。とは言え、家に帰るなり可愛いお嬢さんが僕を癒してくれる展開は望むべくも無かったので、というか家の中を実際探しても(世の中何が起こるかわからないから僕は毎日努力を怠ってません)やっぱりそんなのいなかったので、ぼくはぱそこんのでんげんをいれました。いんたーねっとはぼくをあたたかくむかえてくれました。ひとあんしんです。