氷室の後継者について本気出して考えてみたコーナー

 

 

■ヒムロックを継ぐ者

氷室京介の目指す音楽は、彼独自のものである。音楽シーンを見渡しても氷室京介とほぼ同ベクトルの音楽を見つけるのは困難であろう。GLAYは確かにBOφWYフォロワー的な臭いを強く感じさせるバンドではあるが、氷室京介が目指すものとはまた性質が違う。例えば、TERUのステージアクションは明らかに氷室の影響を受けたものではある。が、やはり氷室とTERUでは明らかに格が違うのではないだろうか。単純に、女のみならず男にも訴えかける格好良さの面で格が違うと僕は思う。さて氷室京介のスタイル、それは徹底してある種の「型」が要求されるものである。ステージアクション、歌唱法、彼の作成するメロディ、そのどれを取ってみても、それは最早氷室以外の何者でもない域にまで達していると言えよう。その意味で、彼の表現する音楽はまさに「ヒムロック」と呼ぶにふさわしいものであると言える。

 

そんな氷室京介の表現形態はさながら伝統芸能のようなものである、との論調を以前僕は目にした事がある。僕はこれに妙に頷いてしまった。伝統芸能ゆえ、その継承者が見当たらない、との論旨でその文章は締めくくられていた。氷室のカリスマティックな格好良さを伝統芸能で、一代で終わらせてしまうのも勿体無い話なんではないかと思うのだが、しかし僕らは既に氷室の遺伝子を受け継いだ人間を知っている筈だ。TERU?ノー、違う。残念ながら、TERUにそこまでのカリスマ性は感じられない。彼は良いヴォーカリストだとは思うが、氷室の遺伝子を受け継ぐ程ではないと僕はそう思っている。では誰か。そう、あややこと松浦亜弥である。彼女がヒムロックを受け継いでいる事はLOVE涙色におけるアクションにおいて顕著だ。LOVE、涙、色、と歌うその部分においての彼女のアクションはまさしく氷室を彷彿とさせるものである。また、氷室が有する、かつて全国の中高生を熱狂させたカリスマ性。それすらもあややは当然のように持ち合わせている。そう、桃色片想いにおいて世界に向け発信される、ピーチ!のマニフェスト。それには中高生のみならず、僕らも熱狂をもって向かい入れるのである。氷室京介は伝統芸能であり、故に継承者はなかなか現れないとされていた。しかし、現実の伝統芸の世界においても、完全に昔ながらの制度では時代に対応出来ない故様々な改革が要求されていると聞く。というか小学生の時に社会の授業でそう聞いた。その意味でも、松浦亜弥はうってつけの逸材である。彼女こそは既存の、ともすれば閉鎖的状況に陥りつつある「ヒムロック」に風穴を開け、さらに自らのイズムをもスケールアップして構築できる稀有な存在なのである。そしてその完璧なアクションに、僕らは跪き、熱狂するのだ。あややってばやっぱすげー。

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と、以前このような感じの話をヲタの人にしたことがあるのですが、その時それじゃあ布袋は誰よ、って話になり、「背が高いから飯田、っつうのは安易だよねえ」「や、布袋歌下手じゃんか。だからさあ、梨華ちゃんとか」「あーそりゃいいね。えらく可愛いBOφWYになるよ」みたいなまたまた安易な結論に達したりしました。ええと、高橋まことは高橋繋がりで高橋愛、松井常松は適当でいいです、で、BOφWYならぬGIRLとかそういうグループを組めば良いと思いました。んでその後グループ解散、あややはやっぱりソロで、布袋であるところの石川梨華は『RIKARHYTHM』とかそんな名前のアルバムを出すと良いと思います。というかまず僕が買います。あと、コンプレックスって名前のバンドを組むとか。とか。そんなわけで、そんな感じのヲタ話をするのは本当に楽しいのでありました。