jellyfish『spilt milk』

曲目

1:HUSH 7:BYE,BYE,BYE
2:JOINING A FAN CLUB 8:ALL IS FORGIVEN
3:SEBRINA,PASTE AND PLATO 9:RUSSIAN HILL
4:NEW MISTAKE 10:HE'S MY BEST FRIEND
5:THE GLUTTON OF SYMPATHY 11:TOO MUCH,TOO LITTLE,TOO LATE
6:THE GHOST AT NUMBER ONE 12:BRIGHTER DAY

-----

『spilt milk(邦題:こぼれたミルクに泣かないで)』 なんてポップなタイトルだろう。いやポップすぎる。気恥ずかしいぐらいだ。いやタイトルもそうなんだけど、実際、アルバムの中身だってそうとうポップだ。ポップポップとあんまり繰り返していると馬鹿みたいなのだけど、だって仕方が無い。ジェリーフィッシュのアルバム『spilt milk』は物凄くポップだ。

 

僕がこのアルバムと出会った正確な時期が思い出せない。たぶん高校生の頃だと思う。確か初めてジェリーフィッシュの名を知ったのは、ありし日の「ミュージック・ライフ」誌だったような気がする。音に初めて触れたのは、テレビでPVが流れていた時だったように思う(曲は『ニュー・ミステイク』だったと思う)。いずれにせよ、それが何時だったのかあまり思い出せない。そんな事は瑣末な事であってそれより『spilt milk』の話だ。よく、音がポップなアルバム(例えばパワーポップ系など)のアルバムを紹介を紹介する際に多用される言い回しがある。曰くそれは「まるで宝石箱をひっくり返したように」ポップであり、「自分だけが発見した宝物のようにワクワクさせられる」ような心躍るアルバムだ、というような、あの言い回し。所謂「ポップ」な音楽に対し、多少言い回しを変えたとしても同じような事を言っている紹介文は多いように思う。だけど僕はこのジェリーフィッシュのアルバム、それのみにこの言葉を使いたい。勿論他にも心躍さられるポップミュージックは沢山あるわけだけど。僕はあえてこの『spilt milk』のみに「宝石箱をひっくり返したような、自分だけの宝物のようなポップ」という表現を使いたい。それぐらい僕にとっては群を抜いているから。

 

『NEW MISTAKE』や『JOINING A FAN CLUB』を初めて聴いた時僕はどうしようもなく頬が緩んだ。もう、笑顔。僕は自分にとってそのポップミュージックがどれぐらい良いのかを判断する時に、どれだけ自分の頬が緩んだかを参考にしている。その点、『split milk』は僕に今までで一番の、そういう類の笑顔を提供してくれた。そして未だにその時の笑顔を凌駕するぐらいポップなアルバムに出会っていない(ところで勿論、笑顔を浮かべる場所は選ぶけれど)(試聴コーナーなんかでニヤニヤしていると面白い人だと思われてしまうので)。ああ、世にポップなアルバム数あれど、ジェリーフィッシュの『spilt milk』ほど危険なポップアルバムは稀有だと僕は思っている。危険だ、と今僕は言ったけれど、優れたポップミュージックを聴いていると最早そのポップ世界に溺れる他は道がなくなるからである。『spilt milk』は、フックが効きまくったメロディーライン、ギターのディストーション音の使い方、のみならず他の楽器の使い方、そして、ここでこのタイミング以外無い!と思わせるようなタイミングで入ってくるコーラス、もう全てが危険だ。そして今この時も僕は『spilt milk』を聴きながら頬を緩めている。ああ!

 

-----

 

追記:余談ですが、昔、デスメタル等のヘヴィメタル好きの僕の先輩が「俺、あんまりポップなのは聴かないけどクイーンは聞けるな」と言ったので、僕は「あ、だったらクイーンみたいで良いですよこのバンド」と、この『split milk』を聴かせたところ「駄目だ!俺こういうお花畑で妖精が飛んでて四つ葉のクローバー見つけたよ☆ みたいな音聞けねえ!」と一蹴されてしまいました。その時はああ残念と思っただけでしたけど、よく考えてみれば結構その先輩のジェリーフィッシュ評は的を得ているように思えます。お花畑で妖精、ってつまりその世界に耽溺していたら危険という事でもあると思うので。

 

あと、タンポポの『乙女 パスタに感動』はまるでジェリーフィッシュみたいだと思った(つまり好き)。